2018年3月31日土曜日

パティシエ学校の講師会

 
 
 
 
今日は4月から9月まで、週に1回、
非常勤講師として通っているパティシエ養成学校の
講師会があった。
 
私が教えているのは「就職対策講座」だが、
パティシエ(和菓子職人、パン職人)養成学校なので、
他の講師や専任の先生達は、
もちろん「ケーキやパン、和菓子の作り方」「栄養学」「衛生学」「販売学」
「商品開発」「経営学」「ラッピング」等々、多岐にわたって教えている。
 
講師会はそんな普段はお目にかからない先生方が一堂に会し、
まずは校長先生から、昨今の学生の様子や、少子化問題、学校の運営状況に
ついてお話しを伺い、
徐々に細かい講師規定やら授業カリキュラムについての説明がなされる。
 
このパティシエ学校は横浜にあるが、
姉妹校というか、先に設立されている調理師養成学校もあり、
講師会はその調理師養成学校である蒲田校で行われた。
 
2校分の教職員と非常勤職員が集まっているので、
年に1回、学校関係者が勢揃いしたことになる。
 
そこで初めて、
卒業式にはいらした何人かの教職員が辞められたことを知ってビックリし、
逆に、新入社員も何人か採用されていて、お披露目の会という意味合いもある。
 
現在はこうした専門学校も少子化の影響を受け、
年々、経営が難しくなっているらしく、
学生の確保と先生の確保の両方がうまくいっていないみたいだ。
 
毎年のことだが、3月31日のこの時点で、
決まっていないことや穴のあいた部分があるみたいで、
内部事情はだいぶバタバタしている様子だ。
 
同じ曜日で授業をしている顔なじみの先生と、
「W先生、卒業式の時、けぶりも見せなかったけど、お辞めになったんですね」とか、
「新人の教務のあの方、頼りなさそうだけど大丈夫かしら」などと噂話をしながら、
今年度も同じ曜日に割り振られたことを確かめ、安堵した。
 
講師会の何よりの楽しみは、分科会の後の懇親会に出されるお料理だ。
 
何しろ、調理師学校とパティシエ学校なので、
それぞれの先生が腕をふるって作ったお料理が皆、力作で、
美しいし、美味しいのだ。
 
卒業式の後の謝恩会のお料理が、芝の東京プリンスだったのだが、
それはそれはお粗末なものだったので、
謝恩会の仇討ちのような気分で、いずれの先生方も、
ズンズンお目当てのお料理やスイーツに突進した。
 
私も「和風ピクルス」「季節野菜のお寿司3種盛り」を手始めに、
「5種類のお肉料理」「フォアグラ入りキノコスープ」「ティラミス」「月うさぎ」などなど、
ここに書ききれないほど、次から次へと制覇した。
 
完全に食べすぎだと思うが、
いずれもとても美味しくて、見逃すことが出来なかった。
 
いつもは他の先生の授業内容や、先生としての実力など知るよしもないが、
専任の先生方の作品=お料理は一流だということを感じるのが、
この講師会である。
 
奇妙なご縁で、しかも専門外の「就職対策講座」などという講座を受け持って
早7年、
いつの間にか非常勤講師の一員として定着したようである。
 
今年も4月27日から、私の受け持ちの授業が始まる。

2018年3月28日水曜日

初めての桜

 
 
 
 
 
東京・横浜は只今、桜満開!
気温も急上昇して、まさに春爛漫。
 
桜が咲くというのは、なぜ、こうも日本人をわくわくさせるのだろうか。
長い冬の終わりを象徴しているからか。
入学式や入社式のような人生の大きな節目の時期に咲くからだろうか。
 
完全に日本人のDNAに組み込まれているソウル・フラワー(そんな名称はないが・・・)だ。
 
人は人生の終盤になると、
「あと何回、桜が観られるだろうか」とか、
「何とか桜の季節までは頑張りたい」とか願うものだが、
それは桜の命が1週間と短く儚く、散り際もはらはら切なく美しいからだろうか。
 
逆に初めてという意味では、今年の上野恩賜公園は
満開の桜とパンダのシャンシャンを観るために
異様な数の人が押し寄せているらしい。
 
我が家のパンダというか、シャンシャンと5日違いで生まれた孫の志帆にとって、
今年の桜は生まれて初めての桜ということになる。
 
志帆の住むマンションの目の前の道は、沿道の両脇に桜が植えられているし、
我が家のすぐ側にも桜道と呼ばれる小径がある。
 
先週の土曜日は結婚式に招待された長女のために、
志帆の家まで子育て支援に行ったし、
今週は月曜日から長女と孫が親子で遊びに来ていたので、
その両方の満開の桜を愛でることが出来た。
 
もちろん本人は桜の花の美しさも分からないし、
特別な意味も感じてはいないのだが、
志帆をバギーに乗せ、春風をほおに感じながら桜並木をいくと、
大人の方はしみじみとした想いがこみあげてくる。
 
生後10ヶ月、
最近はハイハイでどこでもいけるようになり、
離乳食は好き嫌いなく何でもよく食べ、
だからびっくりするほどぷくぷくに太って、なのに背は伸びずおチビちゃん。
 
言葉はまだ何も話せないが、意思表示はだいぶ出来るし、
「苺、好き?」と聞けば、ニコニコして手を叩く。
 
自分であ~と声を出しながら、指でくちびるをはじくと、
レロレロとおもしろい声に変わるのが楽しくてしょうがない。
それが今の彼女のブームだ。
 
こちらは志帆をとおして、人間の著しい成長を、再び、間近にみながら、
懐かしいような、新鮮なような妙な感慨がこみ上げてくる。
 
長女の妊娠・出産・子育てと、命と向き合ったこの1年。
 
4月から長女の仕事復帰が決まり、孫の保育園生活も同時に始まる。
 
我が家にとっても、桜はやはり門出の花だ。
いつもの年とはひと味違う心持ちで、桜を見あげ、脳裏に焼き付けた。
 

2018年3月23日金曜日

与勇輝の人形展

 
 
 
大学時代の同級生・尾崎ユタカが銅版画の個展を開いていたので、
神田の木の葉画廊まで出掛けた。
 
彼は大学卒業後、大学院には進まず、大蔵省造幣局に入局し、
銅版画の主にはビュランという技法を活かした仕事を手がけてきたと思われる。
 
しかし、卒業してから今日までに新しいお札は発行されていないので、
彼の手になる肖像画がお札になったという話はきいていないが・・・。
 
その間、大蔵省に勤めながら、作品作りは続けており、
大きな作品は創らないと決めていたらしく、
家のプレス機でも摺れる手のひらサイズの作品と限って制作してきた。
 
そんな小品ばかりの展覧会だった。
 
会期中に何度か本人が来て、
ギターを片手に歌も歌うということで、
演奏予定の曲目が手書きのボードに書いてあった。
イーグルスの「Take It Eazy」が必ず含まれており、当時のことがよみがえってくる。
 
肝心の作品は、大学3年の時に作ったという作品に始まり、
子どもが出てきたり、剣道をしている姿あり、犬の散歩ありの風景は、
彼の卒業後の生活を垣間見るような感じだった。
 
優しい友人の人となりが伝わってくるような展示を観た後、
私は有楽町で電車を降り、
銀座松屋でやっている「与勇輝展」を観ていくことにした。
 
先日、「徹子の部屋」のゲストに出ていて、本人を少し観ていたので、
ぜひ、彼の紡ぎ出した人形達も間近で観てみたいと思ったからだ。
 
案の定、展覧会場には大勢の人が詰めかけ、混んでいたが、
何とか人垣の流れを待てば、近くで観られた。
 
番組で紹介された何体もの人形が目の前で観られ、
30㎝ほどの大きさの人形が放つリアリティに圧倒された。
 
特に昭和初期と思われる着物姿の幼い娘達のちょっとしたしぐさ、表情、
そこはかとなく漂う色香のようなものが、
日本人のDNAという琴線に触れるらしく、何とも懐かしく愛おしい。
 
会場では当人の出てくる映像も流れていて、
「人形は目を描くときが一番、ドキドキする。目を入れると急に自己主張しだす」
「人形作りは日記。人形は自分自身です」と話していた。
 
期せずして、同じ日に観たふたりの作家から、
私は同じようなことを感じた。
 
どんなジャンルの作品も、作品は作り手の日記であり、自分自身だということ。
 
それは私も同じだなぁ・・・。
 
日々の暮らしの中からしか、作品は生まれないものなぁ。
 
そして、それが誰かの人生や暮らしを代弁してくれていると感じた時、
人はその作品をいいなと思うのだろう。
 
与勇輝の人形達の中に
「あるある」や「いるいる」を見つけてホッとする。クスッと笑える。
それが、多くの人を惹きつけている理由だと思った。
 
格好良くいうと、
個人の出来事が普遍性を得たということになる。
 
私もそんな作品を創りたいものだ。
そう想いを新たにしたふたつの展覧会であった。
 
 

2018年3月21日水曜日

玉さまと仁左衛門

 
 
 
 
急に寒の戻りで真冬の寒さの中、『三月大歌舞伎』夜の部を観にいってきた。
いつもなら着物で出掛けるところだが、一日中、雨との予報に戦意喪失、
桜の柄の着物を諦め、洋服で行くことにした。
 
今月は若い頃から贔屓にしている「坂東玉三郞」さんと「片岡仁左衛門」さんが
主役なので、外すわけにはいかない。
例によって歌舞伎フレンドが前から2番目ど真ん中の席を用意してくれた。
なんという幸せ!
 
演目は
『於染久松色読販』(おそめひさまつうきなのよみうり)
『神田祭』
『滝の白糸』
 
まったく毛色の違う3本で、面白かった。
 
『於染久松・・・』は鶴屋南北の心中ものを下敷きにして、
7部まであるお話の3部を取りあげ、
煙草屋を営むお六(玉さま」と亭主の鬼門の喜兵衛(仁左衛門)のやさぐれっぷりに
フォーカスした世話物だ。
 
友人曰く、「中身をはしょっているので、なぜ、二人がゆすりを働くことになったのか、
理由がよく分からないし、怪我を負わされた男が、なぜ、怪我を負ったのかも
その場面は出てこないから、ちょっとリアリティがね・・・」ということだった。
 
確かに、話の全編の筋書きを分かっている人には分かるのだろうが、
一部を抜き取られると、そういう物足りなさは出るのかもしれない。
 
まあ、しかし、玉さまと仁左衛門さんのファンとしては、
粋でいなせでシュッとした仁左衛門さんの凄みのある役どころと、
はすっぱな役で啖呵をきりまくる玉さまを観ているだけでうっとりする。
 
その次の『神田祭』では、その二人が鳶頭と芸者姿になって、
まるで一服の絵のように美しくしっとり踊るので、
その差を楽しめただけで、来た甲斐があったというものだ。
 
ただ、ちょっと気になるのは、友人とも話していたのだが、
仁左衛門さんの痩せたこと。
何だか踊っていて苦しそうで、
体力的にしんどくなってきているのかもいうことが案じられた。
 
ここ数年で歌舞伎界の担い手が何人も亡くなっているので、
そんなことにだけはならないよう気をつけて欲しいものだ。
 
「玉孝コンビ」という名で二人が務める舞台は、はや50年近くになるだろう。
「玉三郞と孝夫(仁左衛門さんの若い時の名前)」の略だが、
当時、もう一方の「海老玉コンビ」という海老蔵(亡くなった団十郎さん)とのペアより
私は断然、「玉孝」贔屓だった。
 
その息のあった踊りの間合い、視線の合わせ方そらせ方など、
色っぽさと粋な空気感がたまらない。
 
脇を固めるトンボをきる若者達の威勢の良さと相まって、
江戸の祭りの活気が伝わって来る。
歌舞伎の様式美、ここに極まれりというところ。
同じ空気を吸いながら、目の前でこの舞台を観られてほんとによかった。
 
最後の演目「滝の白糸」は泉鏡花の名作だが、そもそも新派の作品なので、
これが歌舞伎座にかかっていることにちょっと違和感を覚えた。
 
玉三郞が演出で大いに関わっているらしいが、役者としては出てこず、
滝の白糸という水芸の役者には中村壱太郎、
その想い人・村瀬欣弥には尾上松也という若手を配している。
 
しかし、肝心の主役・壱太郎は声が鼻にかかっていて聴き苦しく、
鉄火肌で気っ風のいい役なのだが、語尾の言い回しがくせっぽくて一本調子。
 
膨大な量のセリフな上に、
最後の場面では、後ろ姿で心情を表さなければいけない難しい役だが、
頑張っているけど、まだまだかなという感じだった。
 
玉さまが何度となくやってきたこの役を若手に譲って、
次世代を育てようというしているのだと思うが、
いくら壱太郎がいい血筋に生まれていても、
顔形や声質まで上等というわけにはいかないのが辛いところだ。
 
しかも、場面転換がやたらと多く、何度となく幕が引かれ、
芝居が細切れになったことも、ちょっといただけない感じで、
あれは回り舞台を使ったり、説明っぽい場面をカットするなりして、
お客さんの集中力をとぎらせない工夫が必要だったかもしれない。
(と、すっかり評論家気取り)
 
とはいえ、前から2番目、ど真ん中の至福の時は
私の心の栄養注入になって、
明日からのエネルギーはたっぷりいただけた。
 
「よ~し、頑張るぞ~」
って、外は雪!?
 
どうなってるんだ、春分の日。
 

2018年3月16日金曜日

対の作品 本摺り

 
 
先週、試し摺りと本摺りをした『雅』という作品と、
対になる作品の摺りを、今週は行った。
 
私の中では、2月初めに、2点同時に原画を起こしているので、
対の作品という気持ちではいるが、
もちろん独立した作品で、特別な関連性はない。
 
観た方は勝手に「私はこっちよりそっちが好き」みたいなことをいい、
「我が家にはそっちよりこっちの方が合う」みたいな感想を述べて、
大抵は1点だけお求めになる。
 
それで全然構わないのだが、
内心は「対でお嫁にいってくれると嬉しいんだけど・・・」と思っている。
 
さて、先週の『雅』は最後の最後まで、タイトルが決まらなかったという話を
先日のブログに書いた。
 
しかし、今回の作品タイトルは試し摺りをとっている最中に早くも決まった。
 
『麗』に決定。
 
『雅』に対抗できる漢字で、意味合いも美しく、字画も多めのものというと、
私の中では『麗』の一文字がピタッときた。
 
当然、試し摺りの段階から、頭の片隅に『麗』のイメージを膨らませて、
色を選択していくことになる。
 
麗という漢字は、中国では美人の象徴ともいうべき漢字で、
女の子が生まれたとき、「美しくあれ」と願う親が、好んで名前に使うらしい。
 
日本でも麗子さんとか麗美さんとかいう名前は、
可愛いというイメージより、美人という印象をもっているがどうだろう。
 
この作品は『雅』が本来の時計草にある牡丹色や紫を使用しているのに対し、
実際には時計草にはない色を使用している。
 
品種改良などなされて、実際にはあるかもしれないが、
我が家の庭には牡丹色と紫系の2種類しか咲いていないので、
こちらの作品の時計草は想像上の花色ということになる。
 
なので、一層、「『麗』って感じってどうよ?」と自分に問いかけながら、
色をチョイスしていかなければならなかった。
 
結果的には、少し緑みがかった黄色と紫という補色をぶつけ、
ひとつだけみかん色のようなオレンジの花をポイントに使うことにした。
 
背景の色にはレモン色と浅葱というブルーを使っているので、
全体にはクールな感じになっただろうか。
 
「美人はクールな方がかっこいいわ」などと、
例によって、アトリエで独り言をつぶやきながら、
昨夜から、今日にかけて、本摺りも済ませた。
 
花が上から下がっている構図なので、
いわゆる「上から目線」とも言える。
 
「美人は時に上から目線よねえ・・・」と、またまた、ひとり物語の中に没入しながら、
また1点、新作が完成した。
 
この作品の発表は6月初めの紫陽花展になるだろう。
 
これで2月3月に自分に課していたミッションはクリア。
 
せっかちな性分なので、
余裕でクリアできると気分がいい。
4月初めの旅行に勇んで出掛けられるというものだ。
 
しかし、昔から、こんな感じで余裕かましてテストに臨んで、大した点が取れない私、
詰めが甘いのは一生治らないに違いない。
 
さて、この作品、詰めは甘くないか、
今から厳重チェックである。
(といっても、今更、手直しなどできないのが版画の本摺りだけどね・・・)

2018年3月10日土曜日

新作の本摺り

 
 
 
最近のブログは志帆関連のものが多く、
版画は創っていないのではと思われているかもしれないが、
何とか、2枚接ぎの大きな作品の後も、2月に新作を立ち上げ、彫っていた。
 
大きな作品が出来てしまうと、ホッとして気が抜けるのは否めないのだが、
6月のグループ展までに、もう2点は最低でも創らなければならない。
 
今週の火曜日に、2枚接ぎの案件に、無事、めどが立ち、
作品を額縁屋さんに渡してしまったので、
気分も上々、週の後半は新作の試し摺りと本摺りを一気に進めることにした。
 
時計草をモチーフに使っているので、
ある程度は時計草のリアルな色を使用することにしたのだが、
意外と背景に使うつもりの色としっくりこなくて、
試し摺りをやり直した。
 
色は大きく言って2つのグループに分かれる。
 
ブルーアンダートーンとイエローアンダートーンのふたつで、
白と黒と、白と黒だけで出来る無数のグレーを除いては、
どんな色も青を隠し持っているか、黄色を隠し持っているかで、
どちらかのグループに分かれる。
 
例えば、黄色とひとくちにいっても、
レモンイエローはブルーアンダートーンで、
卵色はイエローアンダートーンだ。
 
青み群はクールでさめざめとしているし、
黄み群は温かみがある。
 
お洋服も、スカートとブラウス、スーツとインナーなど、
組み合わせる色は同じアンダートーンの方がなじみがいいし、センスよく見える。
 
絵画に使う色も大きな面積を占める色はアンダートーンを整えた方が、
配色センスのいい、まとまった作品になる。
 
今回の作品でいえば、時計草の牡丹色や青紫系の色はブルーアンダートーンだ。
従って、背景にもブルーを隠し持った茶を使いたいところだが、
茶はそもそも黄色を隠し持っているので、青みに倒すのが難しい。
 
結局、小豆色という正に小豆のような赤ワイン色のような色に白を足し、
背景の1色目にした。
井村屋のあずきバーみたいな色だ。
 
その上に無彩色の黒を重ねている。
 
先日、木版画家はひとりではなく、たくさんの人やモノに支えられて、
作品が生まれていると書いたが、
試し摺りと本摺りの作業に関しては、本当に孤独な戦いだ。
 
色には正解がないし、
どんな色を使うかは、作者しか決められないのだから、
ひたすら、ひとりごとをつぶやきつつ、
粛々と色を決め、黙々とばれんを動かし、摺り続けるしかない。
 
目と手と頭はめまぐるしく動いて、
作品は徐々に最後の1色に向かって、少しずつ出来上がっていく。
 
その間にもうひとつ決めなければならないことがある。
作品タイトルである。
 
作品タイトルは彫っている内から決まるような時もあれば、
本摺りが終わっても、浮かばないこともある。
今回はどちらかというと後者で、
なかなかピタッとくるタイトルが思いつかずにいた。
 
漢字一文字系のタイトルにしようと思うのだが、
この作品を表す漢字とは・・・。
 
年末の「今年の漢字一文字」をひねり出すような気分で、
昨夜も寝ながら考えたが、なんだかこれっというような漢字が出てこない。
作品は華やかな印象だけど、「華」と「凛」は以前に使ってしまったし、
昨年の「明」と「快」というほど、明るくポップでもない。
 
悶々としながら、とうとう最後の1色を摺るところまでいって、ようやく閃いた。
「雅」(みやび)はどうだい。
「そだね~」とは誰も応えてはくれなかったが、
なかなかいいのではないか。
 
色使いが日本的な感じもするし、黒い背景で、画面が重たいから、
漢字自体も字画が多い方がいいので、
「雅」はしっくりくるタイトルだと思う。
 
タイトルが決まると、これまた、ホッと一安心なので、
この新作も気持ちよく仕上げの水張りすることが出来た。
 
大体、一安心すると甘いものが欲しくなるのが常で、
額縁屋さんの帰りには「和栗モンブラン」を買って帰ったが、
今日は日本画的な作品なので「今川焼き」にしようと思う。
(小品だからね、贅沢は出来ないしね~)
(そだね~と、独りごち・・・)
 
あんこ、最高!
今川焼き、コスパ最高!
お疲れ!本摺り。
 

2018年3月6日火曜日

救いの神

 
 
今日は木版画家の私にとって、とても嬉しいことがあった。
 
木版画家というのは、まず作品の原画を考え、鉛筆で作成し、
次に鉛筆画をトレッシングペーパーに写し、
それをまた、版木にカーボンで転写して彫って、
絵の具をつけて摺り上げるという工程を
ひとりで行い、木版画の制作をしている芸術家のことを指している。
 
作業工程はすべてひとりでこなしているから、
作家だけが健康に留意し、
創作意欲に燃え、
作品を産める状態ならば、何の問題もないように思える。
 
しかし、作品を創って、発表するには
とても多くの人にお世話になったり、多くのモノを使用したりしている。
 
材料としては100%楮の和紙を梳いてもらっている福井県の手漉き和紙屋さん、
彫刻刀を買ったり、研ぎなどの手入れをお願いしている彫刻刀屋さん、
木版画用の版木を注文している画材屋さん、
作品に使用する特殊な絵の具が揃っている絵の具屋さんなど、
普通の街のお店にはないモノばかりの専門店だ。
 
他にも、シリーズで作っている額縁を扱っている額縁屋さん、
2枚接ぎの作品の接ぎの部分をお願いできる経師技術をもった額縁屋さん、
個展やグループ展の時の美術搬送をお願いできる運送屋さん、
団体展や個展などの搬入搬出をお願いできる運送屋さん、
普通の宅急便屋さん、
美術作品のプロカメラマンなども、
大切な専門業種の人達だ。
 
しかし、ここ3年ばかりの間に
長年も長年、長い人だと40年近くのおつきあいのある人やモノが、
私の前から消えてしまった。
 
先ず、2年半前、大学生の時からお願いしていた額縁屋さんが亡くなった。
その方には額縁を作ってもらうだけではなく、
2枚接ぎの作品の接ぎもお願いしていたし、
40年来、団体展の搬出入もお願いしていたから、
奥様からの訃報は本当にショックだった。
 
しかも、65歳という若さ。
同年代なだけに、戦友を失ったかのような気分だった。
 
その後、彫刻刀を求めたり、研ぎをお願いしていた神田の彫刻刀屋さんが
なぜか廃業してしまった。
そちらの2代目さんも、まだ、50代ではなかろうか・・・。
 
そして、最近では、大学生の時から愛用していた
ホルベイン社製の彩という絵の具のシリーズが廃番になってしまった。
 
絵の具なんて、何を使っても大して変わらないと思うかもしれないが、
大違いなのだ。
それに代わる絵の具のシリーズは、まだ、見つかっていない。
 
彫刻刀の研ぎだけは、廃業なさったSさんが紹介してくださった彫刻刀屋さんに、
試しに研ぎをお願いしたところ、
素晴らしいスキルをお持ちと分かったので、心の底から安心した。
 
しかし、2枚接ぎの作品の接ぎパートに関しては、
昨年の今頃、日本画の友人の紹介で岡崎市の経師屋さんにお願いし、
一応、事なきを得たものの、作業代が額縁屋さんの5倍の値段でビックリ。
 
更に去年から宅急便の値段も値上がりして、
大きな作品はミニミニ引越扱いになり、
ヤマト便の1670円から6800円に・・・。
 
これはもう、値上がりしたなんてもんじゃない。
腹が立つのを通り越して、泣けてきた。
 
そうは言っても自分で接ぎの作業が出来ない以上、
だれかにお願いするしかないと、
昨日、今年の2枚接ぎの作品を岡崎まで送る準備をしていた。
 
その時、ふと、版画協会のカタログに載っている額縁屋さんのことが頭をよぎった。
 
版画家仲間にはそこに額縁を注文している人も多い。
ナラ材のシンプルな額を作ってくれる額縁屋さんで、祐天寺にあるらしい。
 
「もしかしたら・・・」
そう思って、昨日の午前中に電話をしてみた。
 
すると電話口の中年の男性の声で、
「ここで額縁を作ってくださる方の作品なら、接ぎもやりますよ」という答えが
返って来た。
 
何と、亡くなった額縁屋さんと同じ考えと、
経師屋さんの技術も持った額縁屋さんだったのだ。
 
版画作品専門に額縁を作るだけではなく、
版画作品、つまり、和紙の扱いにも精通していて、接ぎなどのスキルもある。
 
「エッ、本当ですか。ぜひ、お願いします。
今から行きます。祐天寺からどう行けばいいですか」
と、私は勢い込んで言った。
 
「今から?雨になりそうだけど、大丈夫?」
「ハイ、午後イチで伺います」
 
しかし、結局は昼過ぎ、雨だけでなく、風までも強くなり、
「雨風がひどくなりそうなので、明日にします」
「その方がいいね」ということで、
お天気になった今日、ようやく祐天寺まで行って注文することが出来た。
 
あ~、あそこで小林額縁製作所に電話しようと思ったアンタはえらい!
でかした!
 
60歳代のご兄弟でやっている額縁屋さんで、
版画協会のカタログに載っている私の去年の作品をとても褒めてくれた。
 
その続きの今年の作品も、台の上に広げると
「これもいい作品だね。
初孫誕生?それはおめでたいテーマだ。いい額縁をつけてあげなきゃね」
と、言ってくださった。
 
あの戦友を失ったかのような悲しみが
じわっと癒されるような気持ちになり、
帰り道、祐天寺駅前のケーキ屋さんで、思わず「和栗モンブラン」をふたつ買った。
 

2018年3月4日日曜日

1日遅れの初節句

 
 
 
 
 
2018年3月4日
東京は晴れ、気温21℃。
花粉の飛散Max。
 
暖かな日曜日、1日遅れだが、孫の初節句のお祝いをした。
 
お食い初めは我が家で、ばぁばの仕切りで行ったが、
初節句からは親が考えて、自分達らしくやった方がいいからと、
じじばばが娘達のお宅にお邪魔する形で行うことになった。
 
おひな様は私の父母が長女の誕生に合わせて用意してくれたものを
二代にわたって使用することにしたので、
先日、我が家から持ち帰ったのは、以前のブログにあるとおり。
 
今日は何年かぶりにお外に出て、奥の部屋に飾られ、
お内裏様とおひな様も嬉しそう。
 
料理が苦手な娘も、ちらし寿司やスペアリブなど準備して、
それなりに初節句のしつらえが整っていた。
 
本当ならお昼寝の時間に差し掛かっていた志帆も、
家の中の華やいだ雰囲気と、着物なぞ着込んでやっていたばぁばと、
初めて自分のうちの中で見るじぃじに興奮して、なかなか寝付かず、
急にできるようになったハイハイでよってきたり、
膝の上でキョロキョロしたり・・・。
 
もうすぐ始まる保育園生活に向け、
必要になりそうなお洋服をお祝いに持っていったので、
途中で衣装チェンジして記念撮影したりした。
 
こんな風に生まれてから9ヶ月しか経っていないのに、
次々出来ることが増え、
よく笑う、いつでも機嫌のいいちょっと太めのおちびちゃんに育っている。
 
子育て支援で観ていたお子さんのママから譲られた飛び出す絵本も
大量にお下がりとして届けたので、
興味津々で読んでくれる日もそう遠くはないだろう。
 
初節句。
女の子の無事の成長をお祝いするこの伝統的な行事を、
無事に済ませることが出来、よかったよかった。
 
あとひと月で仕事復帰するママと、
保育園という社会生活の始まる志帆。
 
どんな生活が始まるのか、ドキドキだと思うけど、
頑張って欲しい。
 
ばぁばとしてはどんな風に関わろうかなと思案中。
日本の働くママの大変さを少しは助けてあげなきゃね。