2017年8月29日火曜日

第3回 文学と版画展始まる

 
 
 
 
 
銀座6丁目にあるギャルリー志門という画廊で、
第3回 文学と版画展が始まった。
 
昨年から参加メンバーに加えてもらって、自分でも楽しみにしている展覧会だ。
 
この展覧会は、版画家自身がまず、1冊の本を選んで、
自分の作品を本の装丁に使って表紙を作るというもので、
会場には額に入った作品は勿論のこと、
その額の下に白い棚が設けられ、そこに装丁がかかった本も展示されている。
 
版画家は時には依頼を受けて、本の表紙に絵を提供することもあるが、
大抵は出版社が表紙を制作する部門を持っていて、
そこのデザイナーが表紙や帯をデザインする。
 
だから、まず1冊の本を選ぶところから始まって、
表紙にどのように作品を入れるか、文字はどうするかなど、
普段とは違う作業の連続なのが、楽しい。
 
だれがどの本を選ぶのか、興味津々で、
小難しい哲学書を選ぶ人もいれば、童話を選ぶ人もいて、
その人の人となりがよく現れる。
 
私の場合は、「女流作家であること」、「自分が好きな文学であること」を条件に
本の選定をして、
その本の内容を意識した作品を創っている。
 
自分の作品ありきで本を選ぶ人もいるが、私は文学の方に敬意を払っている。
 
去年は瀬戸内寂聴の「爛」を選んだが、
今年は小池真理子の「沈黙のひと」である。
 
内容は小池真理子自身の父親がパーキンソン病を患い、次第に歩けなくなり、
話すことが出来なくなるのを側で介護しながら、
父親は人としてどう生きたのか、男としてどんな人生があったのかなどを
驚愕の内に知るというものだ。
 
それに対して、私の作品は、
人がパーキンソン病をいう抗いがたい病を得ることに思いを寄せて、
いつもより静かな絵柄、しかし、色味は情熱を秘めているものにしようと考え、
創った作品が「ふたり静かに」である。
 
また、本の「沈黙のひと」というタイトルもいいと思った。
 
本の表紙としては、横キャンの絵柄を真ん中で分断し、
表表紙と裏表紙に分けて使っている。
 
背表紙とそれに続く裏表紙の一部をベージュ色にし、
バーコードやメールアドレス、
「文藝春秋」ならぬ「文藝季満野」という文字を配した。
 
本当に文藝春秋から発行されている訳ではないから、
それっぽく見えるためのユーモアである。
何もないと間が抜けるからねぇ・・・。
 
という感じでギャラリーのオーナーと相談しながら、印刷から上がってきた表紙は
とてもいい出来上がりで、
書店にもし並んでいたら目を引くだろうと思える美しい表紙になった。
 
誰か出版社の目に止まって、表紙のデザインの依頼が来ないかな~と思うのは
去年も今年も同じだが、
こういう課題の出される展覧会に参加する楽しさも同様だ。
 
去年はオープニングパーティに出ても知らない作家ばかりだったので、
なじめない空気を強く感じた(意外と人見知り・・・)が、
2回目の今年は徐々に顔見知りも出来、打ち解けてきたので、
この企画展のメンバーとしてしばらくやっていこうかなと思っている。
 
「文学と版画」
 
印刷が発達する前は当たり前に密接な関係だった「文学と版画」を
あらためて自分の作品で結びつける機会を得、
人の文学作品に啓発されて版画作品を創る楽しさを味わっているところだ。
 
展覧会として、とても展示そのものが美しく、面白いと思うので、
銀座にお出かけの際は、ぜひ、お立ち寄りください。
 
ギャルリー志門
中央区銀座6-13-7 新保ビル3F
 
2017年8月28日(月)~9月2日(土)
11:00~19:00(最終日は17:00まで)
 
なにとぞ、宜しく!

2017年8月20日日曜日

摺り師KIMINO


 
 
 
 
雨は月曜日までしか降らないらしい。
となると、日曜日中には何としてもこの作品の本摺りを仕上げねば・・・。
 
その一途な思いだけを胸に、ここ10日ほど頑張ってきた。
 
そして、遂に昨日8月19日の夜から、本摺りに取りかかることが出来た。
 
土曜日は午前中に1本心理カウンセリングの予約が入っており、
午後は陶芸工房で水差しの削りという時間がかかりそうな作業が待っていた。
 
しかし、天気予報では夜半過ぎから関東地方はところにより大雨とか。
 
もし、夜、雨が降るとしたら、この機を逃す手はない。
夏、暑いのはどうしようもないとして、和紙の乾燥を防ぐため、
「雨の中、摺りたい」その強い思いが私を突き動かしている。
 
というわけで、土曜の朝の一番に和紙を裁断し、水を打ち、湿して、重しをした。
和紙は湿してから、全体に水分がなじむまで、
5時間ぐらいは摺り始めることが出来ない。
 
日中、他の用事を済ませ、夜、作業を開始すれば、丁度よい。
 
絵の具の調合は金曜の夜に済ませ、
すでに40色ぐらいの絵の具が摺り始めるのを待つばかりの状態だ。
 
土曜の夜、夕飯を作り食べ始める頃、
テレビのニュースでいきなりの大雨と大風のため、
花火大会が急遽中止になったと報じていた。
と同時に、横浜の雲行きも怪しくなり、ゴロゴロ、ピカッと雷鳴が・・・。
 
私は「来た来た来た~!」と、小躍りして、アトリエに駆け込み、
加湿器をオンにして、いよいよ本摺り開始だ。
 
まずは体力があるうちに大きなパートを摺り始める。
 
背景に配されたグレーの濃淡の花の部分から、版木の上に調合した絵の具をのせ、
3色グラデを作り、1枚1枚同じ部分だけを摺っていく。
 
今回は6枚の和紙を同時に摺る。
 
次は江戸紫の濃淡で出来ている大輪の花。
 
そうやって、夜中の2時まで摺り続け、だいぶ疲れたので、今日はこれまで。
シャワーを浴びて、朝まで一眠りすることにした。
 
昔は夜明けと共に作業を開始し、夕方6時ぐらいまで、昼ご飯もそこそこに
計12時間摺りみたいな無謀な摺り方をしていた。
 
しかし、ここ数年は同じ時間数を2日に分け、
初日に5~6時間摺って、一度は筆を置く。
 
すると、次の日には前日の作業がなかったかのごとく、リフレッシュし、
気分的には1からスタートして、残り半分の量を摺ることで作品は完成する。
 
その作戦で、日曜の朝は自然に起きるまで目覚ましもかけずに寝て、
体が「OK、リフレッシュしたから、再開しても大丈夫」と声をかけてくれるのを待つ。
 
今朝は8時前に目覚めたので、寝過ごした感じもなく、
いつもの日曜日という感じで、グレープフルーツとバナナ入りヨーグルト、
フランスパンで作ったフレンチトースト、野菜ジュースという朝食を採った。
 
そして、後半の作業を気分よくスタートし、版がずれるとか、
絵の具でどこか画面が汚れるとか、色味が気に入らないとかのトラブルもなく、
つつがなく午後3時にはすべての行程が終了、水張りも済ませた。
 
途中、試し摺りで考えていた背景とは少し色味を変えたりしたが、
そのあたりは摺り師KIMINOが絵師KIMINOに相談するという形で、
スムーズに決断し、ベストな選択がなされたと思っている。
 
本摺りは当然のことながら、試し摺りより摺りのクオリティが上がって、画面が美しい。
 
「さすが、摺り師KIMINO、やるじゃない」と絵師KIMINOが声をかけ、
「まあね、この作品、ちょっと凄くいいんじゃない」と摺り師も絵師もご満悦。
 
相変わらず、アトリエではひとり相撲というか独りごとというか、
怪しい会話が行き交っているが、
無事、6枚の本摺りは摺り上がり、怒濤の8月のミッションはクリアした。
 

2017年8月17日木曜日

絵師KIMINO

 
 


今週はずっと雨という予報なので、新作の本摺りに向け、
今日は試し摺りをした。
 
浮世絵は絵師と彫り師と摺り師と版元という四者の共同作業で成り立っていた。
 
つまり、歌麿や北斎というのは絵師であって、
決して、自分では彫ったり、摺ったりはしていなかったのである。
 
版元というのは今でいえば、画商や出版社という位置づけで、
作品を世の中に送りだし、売ってくれる人である。
 
しかし、現在、版画家に画商がついて、売ってもらえる人は
ほんの一握り。
多くの版画家はほとんど作品が売れることもなく、
時に友人が買ってくれるとなると申し訳ない気持ちになるほどである。
 
話はそれたが、
今日の試し摺りは言ってみれば、「絵師」にあたる要素が大きい。
 
もちろん原画を描いたのは自分であるから、
原画作成というのが絵師の仕事なのだが、
その後、トレッシングペーパーに原画を描き写し、版木に転写し、
黙々と、延々と彫りの作業を進めた後で、
もっともアーティスティックなパートが試し摺りになる。
 
実は原画を興した段階では、最終の色合いまでは全く決まっていない。
 
大体の色みや作品のイメージみたいなものは決めてスタートするが、
細かい色をどんな風にするか、1色1色調合し、
ああでもないこうでもないと悩むのがこの段階なので、
自分ではこここそが「絵師」のパートだと思っている。
 
実際、今日も途中まではいい感じだと思っていたのに、
後半、迷子になってしまい、
思い通りにのせた色が、思い描いたイメージを創り出してはくれなかった。
 
そこで、2枚目の試し摺りを取り、
修正していくのだが、もはや、朝から作業を始めて7~8時間ぐらい経っており、
頭が疲れて働かない。
 
とはいえ、日曜日には本摺りにまでこぎつけたいので、
彫り調整といって、版が重なり過ぎた部分などをぎりぎりの重ねになるよう、
彫りの修正もかなり必要だ。
 
夕方になると、目はしょぼしょぼしてくるし、肩もパンパンだし、
ずっと長時間正座していたせいで、ふくらはぎの血流が滞っているのがわかる。
 
そんな自覚症状がでるまでやらないよう注意する、
整体の先生の困った顔が目に浮かぶが、
頭の中は明日の予定、あさっての予定などが渦巻き、
やっぱり今やらなくてはと焦る自分に押し切られてしまう。
 
何とか、最終のイメージが掴めるところまできて、筆と刀を置き、
夕飯の仕度のため重い腰を上げた。
 
本気で重い腰になっていて、
一瞬、立ち上がりざまによろけた。
 
このまま、ここで倒れてはシャレにならない。
絵師KIMINOは何としても摺り師KIMINOにバトンを渡さねば・・・。
 
バトンといえば、日本のお家芸になりつつある、4×100メートルのリレー、
今回初めて見た第1走の多田修平君は可愛い。
何と言っても笑顔がいい。
素直な性格が顔に表れている。
 
ケンブリッジ飛鳥が故障で最終滑走が藤光謙司君になったのは残念だけど、
こちらもイケメンだったなぁ。
 
それにしても、ボルトのあの劇的な幕切れ。
まるで映画の1シーンのような衝撃的な最後の姿。
 
力を出し切った男がそこにいた。
 
私も力を出し切らねば・・・。
 
なんて、ひとり妄想し、独り言をつぶやきながら、
アトリエでは熱き戦いが繰り広げられていたのである。


2017年8月15日火曜日

彫り師KIMINO

 
 
 
朝から雨がしとしとしとしと、これでもかという感じに降っている。
東京や横浜は連続15日間、雨降りだそうだ。
 
真夏はどこいった。
猛暑はもう来ないのか。
猛暑になったらなったで文句を言うくせに、ならないならないで少し寂しい。
 
そんな湿度90%の毎日、
私は来る日も来る日も時間があれば彫り台の前に座って、
木版の版木を彫っている。
 
特に昨日と今日は一日中彫っていたので、
口を開いたのは、
ご飯が出来たときに「パパ~、ご飯出来ました~」と階下から叫んだだけ。
 
叫んでも、直ぐに降りてくるわけではないので、
先に食べ始めてしまうから、
目の前にダンナが座った時にはあらかた食べ終わっていて、
会話もなく、業務連絡だけ。
 
自分の気持ちは彫りを進めることに向かっているので、
ご飯が終われば、そそくさとアトリエに籠もってしまう。
 
本当ならば、こんなに雨が降っていて湿気った日は摺り日和なのだが、
残念ながら、彫りが間に合っていないので、摺りたくても摺れないのだ。
 
日曜日まではこんなぐずぐずしたお天気が続くと予報が出ているので、
そこまでに摺りにたどりつければと考え、
今は口も効かずに彫り師KIMINOに徹しているというわけだ。
 
それもこれも版17のクロアチア展に出品する新作を創りたいがため。
 
9月7~9日に取りまとめ役のO氏の元に届くよう、頑張っている。
 
世の中はお盆休みの真っ最中。
高速道路はところによっては40キロもの大渋滞。
孫を迎えた郷里のじじばばは
「おぼんだま」とかいう「お年玉」のお盆バージョンを孫に手渡し、
孫の関心をお金でつなぎ止めようということらしい。
 
単にポチ袋会社の陰謀だと私は思うが、
数年したら孫にいそいそ「おぼんだま」を手渡す自分がいるかもしれないので、
今ここで、多くは語るまい。
 
明日は長女の病院行きのため、その間、長女宅で孫をみる約束だ。
 
彫り師は一時休止で、世話焼きばぁばの出番らしい。
 
生後2ヶ月半の柔肌を指すって、赤ちゃんの匂いをクンクンして、
彫りに疲れた体を癒そうと思う。

2017年8月13日日曜日

中島けいきょう詩集 出版記念会

 
 
 
版17というグループのひとり中島けいきょう氏が、
齢80にして、初めての詩集を出版した。
 
けいきょうさんとは版画家集団の会の知り合いなので、
現代美術家という側面しか知らなかったのだが、
この度、詩集を編み、出版したということだ。
 
横浜駅のほど近くプラザホテルのパーティルームでお祝いの会をすると
招待状が届いたとき、7000円という会費にも少し躊躇したし、
さほど親しいわけでもないと迷いもしたが、
これも娑婆のおつきあいと割り切って、出掛けることにした。
 
中島けいきょう氏は中島清之という横浜美術館で大回顧展が開かれるような
日本画家を父に持ち、
直ぐ下の弟に美術評論家、更に下の弟が有名な日本画家の中島千波という、
芸術一家に生まれた。
 
高名でしかも金持ちの弟を持って、
全然、お金とは縁遠い現代美術家を生業としていたのでは、
やりにくい面も多々あっただろう。
 
しかし、会場にはそっくりな顔立ちの弟達もやってきて、
80歳で初めて詩人としてデビューを果たした兄貴にお祝いの言葉をかけていた。
 
私も版17のメンバーや顔見知りの評論家、
8月下旬に「文学と版画」展でお世話になるギャラリーオーナーなどと歓談し、
お祝いの会の末席に連なっていた。
 
詩集は『嗚呼、無蒸し虫』という表題だ。
 
その『嗚呼、無蒸し虫』という詩も中にある。
 
虫虫
蒸し蒸し
虫下し
 
虫籠
蒸し風呂
虫眼鏡
 
蝕む
毟る
             蒸し封じ ・・・と続いていく。
 
まだ、よく読んでいないのだが、
いつものけいきょう節というか、
だじゃれ好きのおじいさんは実は哲学的なことを常に考えてもいて、
理屈っぽくて、ものごとに批判的で、でも、言葉をよく知っているので、
ときどき感心するような言い回しをして、ドキッとさせる。
 
たぶん、そんな調子の詩集のような気がする。
 
会場のプラザホテルは初めて行ったのだが、
横浜駅のすぐ近くなのに、こんなに昭和の匂いプンプンの汚いビルが
まだ残っていたのかと思うような建物で、
最上階のパーティルームも天井が低いので狭く感じ、ひといきれでざわついている。
 
更にブッフェの料理のすべてが味が濃く、ありえない不味さだった。
薄っぺらい詩集を含めてとはいえ、7000円の会費はぼったくりだと思ったのは、
私だけではないだろう。
 
作家業(画家や版画家、小説家に詩人など)を生業にしている者は
一生のうち、何回か、こうした作品発表の舞台を用意して、
お祝いしてもらったり、作品の批評を仰いだりする機会がある。
 
自分で用意することもあるし、用意してもらえるときもある。
 
それは案外お金のかかるものだというのは実感しているのだが、
100人近くの人がお祝いに駆けつけ、出版記念会を催したというのに、
これはちょっといただけない・・・というのが今日の本音だ。
 
20歳以上年の離れた奥さんは
「もう年だから生きている内にできる最後の会になるんじゃないかしら」と
まるで生前葬のようなことを言っていた。
 
私もこれから何回、個展が出来るのか、グループ展はいつまで続くのか、
最近は年ごとに考えるようになった。
 
己の身の始末、
作品発表のタイミングと場所と方法など、
いろいろなことを考えさせられた今日の出版記念会であった。
 
さて、これから、齢80にして人は何を思うのか、
戦争を身近に体験した人は何を言い残すのか、
じっくり、真夏の夜長にページをめくるとしよう。
 
その前にちょっと正露丸。
 
どうもまだ、パーティ料理が胃の腑に落ち着かない・・・。
ぎゅるぎゅる~。
下痢ポーテーションである。嗚呼。
 
 

2017年8月4日金曜日

新作のトレペ転写

 
 
 
6月7月と2ヶ月間、アトリエを乳児室として明け渡していたので、
そろそろ版画家としての本分に戻らなければなるまい。
 
一応、秋に予定されている3つの展覧会のための作品は
すでに出来上がっているが、
つい先日、来年1月にクロアチアで版17の展覧会が開かれることになったと
聞かされた。
 
そこにはひとり4~5点、作品を送り込まなければならないという。
 
しかも、1月下旬の会期に対して、9月中旬には取りまとめを行い、
17人分の作品を木箱に入れて、クロアチアに発送するという。
 
クロアチアの人は以前の私の作品なんて、観たことあるわけないので、
旧作を展示しても何の問題もないとは思うが、
版17の主要メンバーはこれから9月下旬に行われる版17銀座展に出すものとは違う
作品を用意するつもりのようだ。
 
木版画は制作に時間がかかる。
色数の多い私の作品はとりわけ時間が必要だが、
5点全部を今年と去年の版17銀座展と同じというわけにもいきそうにもない。
 
そこで、すっかりばぁばモードになって、なまった体にむち打ち、
新作に着手することにした。
 
今から創る新作は、孫が生まれる寸前まで彫っていた新作と連作になるよう考え、
まだ誰の目にも触れていない2点の新作を、9月初めまでに創ろうというわけだ。
 
しかし、8月は暑いので、木版画の摺りには全く向いていない。
 
この湿度の高さに加え、気温が高いのに、更に加湿器をかけて加湿し、
クーラーは乾燥を呼ぶので、使えないときているから、
熱中症間違いなしの悪条件だ。
 
本当に出来るかどうか心配だが、今、心配していても始まらない。
 
「キミちゃんはやるときはやるよ」という心意気だけで、決行するつもりだ。
 
幸い、2点目の原画のイメージもすんなり湧いて、
1点目と対の作品は縦キャンと横キャンで似たイメージ、
時計草が重層的に画面いっぱいに広がる絵柄だ。
 
原画を興しているそばから
「時を重ねて」と「時にゆだねて」というタイトルも浮かんできたので、
出足好調。
 
すんなりタイトルが決まると、その後がスムーズにいくというジンクスがある。
 
新しい命に触発された新作は、2枚接ぎの作品になりそうなので、
秋、涼しくなってから手がけることにして、
まずは中ぐらいの大きさの新作から再開することにした。
 
新作の図案が思い浮かばない産みの苦しみより、
この暑さの中、制作する苦しみの方が楽だと自分を慰め、
ここしばらくは、取り戻したアトリエに籠もって、制作に没頭しようと思う。