2017年4月26日水曜日

草間彌生の闇

 
 
 
 
話題の展覧会『草間彌生 わが永遠の魂』を観に行ってきた。
 
長蛇の列でチケットを買うだけでも相当並ぶと覚悟していたが、
チケットは5分ぐらいで買えたし、入場もすんなりいけた。
ただ、グッズを買う列が長蛇の列で、レジにたどりつくのは大変そうだった。
 
まず、会場に入ってすぐの大きな部屋に3台の巨大オブジェと壁一面に飾られた
130点の最新作が並んでいて、観るものを圧倒する。
 
それだけで、『もの凄いエネルギー』だし、『溢れる生命力』を感じると思うのだが、
よくよく見ると、そこに草間彌生の苦悩が浮かび上がってくる。
 
最近は本人の意外と可愛いキャラクターや強烈なビジュアルが、
すっかりアイコンとして定着し、草間彌生人気になっているのだが・・・。
 
壁の作品の数枚に1枚の割合でタイトルに『死』に関係のある言葉が登場する。
 
「死の瞬間」
「天国に昇る入口」
「死の足跡」
「永劫の死」
「我が死の祭壇はかくありき」
「自殺する私」
と、いった具合。
 
作品はといえば、赤や緑の極彩色だし、
絵柄も目玉や水玉や虫のようなものなので、そういうタイトルだとは思わない。
 
しかし、草間彌生はその作品を死を間近に感じながら描いたに違いない。
 
幼少期にかかったはしかの発疹が、後年になっても現れ続け、
ぬぐってもぬぐっても体中を発疹が覆い尽くす幻覚に悩まされていたという。
 
統合失調症との終わりなき戦いの中で生きているということがどういうことか。
 
だいぶ前にドキュメンタリー映像を観たことがあったが、
時折、しかも突然に死にたくなってしまうらしく、
映像の中の草間彌生は苦悶の表情でパーティに行きたくないと駄々をこねていた。
 
通常は病院の1室に住んでいて、
朝、スタッフが迎えに行くと車いすに乗り、
アトリエまで行って、後は1日中制作している。
 
溢れるアイデアのまま、気のおもむくまま、筆を走らせる様は、
まるで子どもが夢中でお絵かきをしているようで、
屈託がなく邪気もなく純粋無垢のように見える。
 
しかし、実際は払っても払っても忍び寄る死におびえ、
恐怖と戦っているのではないだろうか。
 
私は膨大な草間彌生ワールドをさまよいながら、そんなことを考えていた。
 
「稀代の天才芸術家」などと周囲は勝手に祭り上げているけど、
そんなに楽な稼業じゃない
そんな風に言っているように感じた。
 
若い時の作品から全部観ることができる展示なので、
ひとりの芸術家が幼い頃からの幻覚をスポッツにして
画布にたたきつけ続けた軌跡を観ることが出来る。
 
常人にはうかがい知れない草間彌生の苦悩と血反吐を浴びる、
そんな覚悟で観に行くことをオススメする。

2017年4月20日木曜日

スペイン紀行⑦ ふたりは買い物三昧

 
 
 
 
 
 
 
女友達ふたりで旅行に行く最大のメリットは
同じテンションでご飯を食べたり、買い物ができること。
 
今回のスペインは10日間で3回、フリータイムがあったので、
その度にフットワークも軽く、食べたり、飲んだり、ショッピングしたり出来たので、
収穫も大きかった。
 
これがダンナと一緒だと、奥さんが買い物したくても、
「俺は行かないよ」とか「待ってるから、早くして」などと言われ、
思うように動くことが出来ない。
 
その点、女同士で、しかも金銭感覚や好みなどが似ているもの同士だと、
火に油を注ぐがごとくに、スイッチが入ると止まらなくなる。
 
それは最初のバルセロナのフリータイムから始まった。
 
まずはみんなでグエル公園とサグラダファミリアの見学を午前中に済ませ、
午後、旧市街の散策の後、デパートに行った時だった。
 
そこでの自由時間は50分ほどで、トイレ休憩を含め、自由にデパート内を
見ることが出来た。
みんなはまだスペインに到着して、初めて観光した日だったので、
今から重いお土産を買うわけにもいかず様子見という感じだった。
 
私達ももちろんそのつもりで歩いていたのだが・・・。
 
2階の洋服売場で、とても綺麗なラベンダー色のワンピースが目に飛び込んできた。
 
一目で気に入る私好みのワンピースで、
生地の織りも凝っていて、日本で買ったら5~6万は間違いなくするだろう。
 
マネキンが着ているワンピースの手触りを確かめていると、
友人が言った。
「わぁ、素敵!ねぇ、試着してみたら」
 
時計をみると集合時間まであと15分。
一瞬、考え、値段を見て、予想以上の安さに驚き、
次の瞬間、私は店員さんを捕まえて「試着したい」と言っていた。
 
2サイズ試し、幸いサイズもぴったりあったので、
即断即決。
財布から『プラスチック・マネー』を取り出していた。
 
友人も私が試着しているその間に、
同じお店で可愛いTシャツを見つけ、買い求めていた。
そして、思ったより暑かったスペインで、翌日、友人はそのTシャツを着用。
私も後日、誕生日の日に現地調達、現地着用したのである。
 
次の日はバルセロナの半日自由行動日。
 
私達は先ず、同行のご夫婦と乗り合いで、タクシーでピカソ美術館まで行った。
美術館といえばミュージアム・ショップを見る楽しみがある。
 
最初からオリーブオイルや石けん、チョコレートなど、
バルセロナでなくても買えるものや重いものや型崩れしそうなものを
買うわけにはいかないが、ミュージアムショップのものはここでしか買えない。
 
というわけで、またまた、買い物スイッチ・オン。
ふたりともピカソTシャツや初孫のためのおよだなどを手にレジに並んだ。
 
バルセロナから南下してグラナダに着くまでは、
バスの運転手さんの緊急事態などもあって、さすがにお買い物熱も一旦休止。
 
しかし、バルセロナやミハス、ラ・マンチャ地方などは
今度は都市部よりお安く
オリーブやアーモンド、いちぢくなどの農産物を使ったものが手に入る。
 
そこでまたまた、買い物スイッチはオンになり、
一行の荷物は徐々に増え、大きく重くなっていく。
私達もしかり。
 
途中、コルドバではこの地方で有名な銀細工の髪飾りを見つけられたし、
友人も負けじとトレドで繊細な細工物のブローチを購入。
 
そんな風に行く先々で「これ素敵!」と思えたら、即決の決断力だけは誰にも負けず、
かといって無駄遣いもせず、私達は旅行の終盤を迎えた。
 
そして、遂に最後のマドリッド2連泊。
 
まずはマドリッドと言えば、プラド美術館と
ピカソのゲルニカがある国立ソフィア王妃芸術センター見学。
 
いずれの美術館の作品もさすがの迫力に圧倒された。
 
更にマドリッドでは食事も美味しく、特にパエリア専門のレストランは本場の味だ。
何度か食べる機会のあった生ハムも十分堪能出来たし、
カバと呼ばれるシャンペンも毎食のように注文して、エンジョイ・スペインもMAXに。
 
観光最終日の午前中はマドリッドの旧市街を中心に散策。
イースターホリデーの金曜日とあって、どこも人・人・人。
 
そこでもまた一行はバルセロナと同じ「エルコルテ・イングレス」というデパートへ。
さすがに最後は娘達にお土産を見なければ・・・。
きれいな色の革製品が欲しいという次女のリクエストに応えるべく、
1階のバッグ売場を友人と物色した。
 
友人も娘ふたりを持つママなので、自分の分も含め、
バック売場でそれぞれ好きなコーナーを攻めていた。
 
ここでもやはり与えられた時間はトイレを含め55分しかなかったが、
私達はそれぞれピンときたバッグを買い求め、一度はみんなとバスでホテルに戻った。
 
友人は黒いメッシュ地に蝶々の刺繍のアップリケがついたバッグ、
私は白地に筆でカラフルな絵の具を飛ばしたような2個組みの大ぶりバッグと、
白い薔薇の透け模様のあるバッグのふたつ。
 
お互いの戦利品を手に意気揚々とホテルに戻り、
夕方6時に添乗員さんの案内で再び街に出るまで、シエスタタイムのはずだった。
 
ところが、ホテルの部屋に戻り、私の求めたバッグを見て友人が言った。
「わぁ、これ可愛い~。私も同じのが欲しい~。じゃなきゃ、今夜眠れない~」
 
眠れなくちゃ、大変だ。
 
シエスタタイムのはずだったが、私達は5分後にはホテルを飛び出し、
タクシーの乗り方も、街中の降りるところも分かってないのに、
デパートのレシートにある名前だけを頼りに、再びデパートに向かったのである。
 
人で溢れる繁華街は歩行者天国になっていたが、
午前中に歩いたときの見覚えのあるビルを頼りに再びデパートに行き、
無事、友人も絵の具飛び散りバッグ2個組と透け模様バッグの赤をゲット。
 
ついでに私は4階の洋服売場でだめ押しのワンピースをもう1点買って、
すべてのミッション(?)をクリアした。
 
それもこれも、フットワークのよい友人とのなせる技。
同じテンション、同じ食欲、同じ物欲があってこそ。
 
こうして、換金したユーロをきれいに使い果たし、
次の日、後顧の憂いなく機上の人となったのである。
 
おしまい。
 
 

スペイン紀行⑥ バースデイ・サプライズ

 
 
 
 
4月12日午前0時15分、消灯して間もなくベッドの中で友人がこう言った。
「ねえ、今日か明日、お誕生日じゃなかったっけ?」
 
ベッドサイドの電気をつけ、時計をみた私は
「誕生日になって15分よ」と答えた。
 
「えっ、じゃあ」と部屋の明かりをつけ、友人はバッグから小さな封筒を取り出し、
私にくれた。
それは手作りのスワロフスキーのビーズで作った宝石箱の形のペンダントだった。
 
こうして、4月12日になったばかりの夜中に、私は誕生日を迎えた。
 
こんなサプライズ、恋人か新婚夫婦でもない限りしないだろう。
 
プレゼントされた紺色のペンダントは次の日着ようと用意していた
ブルーのコーディネイトにピッタリだったので、
朝、早速、身につけ、1日を過ごすことにした。
 
友人もお揃いの黒い宝石箱形ペンダントを作ってきたというので、
ふたりして胸元につけて、朝食のダイニングに向かった。
 
その日は旅程中一番の高級ホテル「パラドール・デ・コルドバ」に泊まっていた。
 
同じテーブルに関西から友達同士で参加のふたりが一緒になった。
座るなり、ひとりが私達の胸元に気づき、「ふたり、お揃いやね」と言った。
 
「今日、彼女、お誕生日なの」とKさん。
「夕べ、これを夜中にプレゼントしてもらったのよ」と私。
そう思わず自慢げに話してしまった。
 
「それは今日、みんなでお祝いせな」
旅の友は皆、優しい。
 
 
その日の旅程はコルドバの歴史地区にある世界遺産メスキータの見学に始まり、
ラ・マンチャ地方で風車を見た後、夕方、古都トレドへという予定だった。
 
10日間のスペイン旅行も後半に入ると、どんどんスピードを加速して、
早くも終盤に入ってしまう。
飛行機やバスの遅延トラブルが、もうだいぶ前のことのように感じる。
 
旅程では、夜はトレドで自由夕食の予定になっていたが、
あまりに今回は迷惑をかけたからと、旅行会社がディナーをセッティングしてくれた。
それも添乗員さんが会社に掛け合ってくれたからだ。
 
トレドのホテルは古都トレドらしいクラシックホテルで、
ドラマチックな赤を使った内装でとても素敵だった。
 
夕食のための再集合までに1時間ほど時間が設けられたので、
私はブルーのセーターとパンツルックから着換えて、
ディナーのレストランに行くことにした。
 
初日のバルセロナのデパートでの短い自由時間に、
現地調達したピンクのワンピースに着換え、
持ってきたピンクのカーディガンを羽織った。
もちろん友人にもらったペンダントも胸につけた。
 
友人はそれを見て、シックなパンツルックに着替え、お揃いのペンダントをつけた。
 
ふたり並ぶと宝塚のペアのようだ。
 
突然、出掛けにホテルの部屋に添乗員さんがやってきて、
「お誕生日おめでとうございます」と言って、
添乗員さんご推奨のオリーブオイルとオリーブオイルのハンドクリームを
プレゼントしてくださった。
 
そして、レストランの席について飲み物が運ばれてすぐ、
添乗員さんから、今日が誕生日であると呼ばれ、
旅の一行の皆さんから、乾杯していただいた。
 
なんと幸せな誕生日を迎えられたんだろう!
嬉しさがこみ上げてくる。
 
ありがとう、Kさん。
ありがとう、添乗員のFさん。
ありがとう、みんな。
 
一生忘れないウン十三歳になった。
 
 

2017年4月19日水曜日

スペイン紀行⑤ イースターの祝祭

 
 
 
 
 
私達がスペイン旅行していた4月7日から16日は
まさに現地のイースターホリデイだった。
 
それを狙って日程を決めたわけではなかったが、期せずして
スペインの復活祭の様子を間近で見ることが出来て、とても興味深かった。
 
バルセロナやマドリッドのような都市部では
さほど街中でお祭り騒ぎという感じではないが、
宗教色の強い地方の都市に行くと
連日、写真のようなとんがり帽子をすっぽりかぶって目だけ出した装束の人が
朝から夜中まで列をなして、街中を練り歩く。
 
地域によって、装束の色が決まっているとかで
黒チーム、赤チーム、水色チーム等々、
大人も子どもも装束をまとって、長いろうそくを手に、延々と歩いていく。
 
その長い列は1組が1000人から2000人もの人で構成されているとか。
 
そして、隊列の最後には十字架に架けられたキリスト像の山車が
おごそかに引かれている。
 
ガイドさんの話によると、
この1週間は普段神様のことを考えて暮らしていないような人も
「人生とは」「幸せとは」「生かされていること」などについて考え、
正装して教会にお参りに行くそうだ。
 
日本人にとっては、ちょっと怖い装束の人々が長いろうそくを手に静かに進んで行く
様子は、少し異様な光景だったが、
現地の人々にとっては大切な行事だということは伝わってきた。
 
私達の旅程の中で、セビージャ(『セビリアの理髪師』のセビージャ)
コルドバ、トレドで実際の隊列や観客席の赤いボックス席を見ることが出来た。
 
最後のキリスト像まで見られたのはセビージャのカテドラルだった。
 
写真の黒装束の列である。
 
小さな子どものお母さんが気温30℃を超える暑さの中、
練り歩く息子を心配して、水筒の水を与えている様子から、
自分の子どもが一人前に隊列に参加できることは
きっと誇らしくて嬉しいことなんだろうなと思った。
 
イースターといえば、卵型のチョコレートぐらいしか思い浮かばない私にとって、
キリスト教のお祝いの行事を間近で見られたのは貴重な体験だった。
 
ベストシーズンのスペインで、ベストタイミングでお祭に遭遇である。
 

2017年4月18日火曜日

スペイン紀行④ 血がたぎる洞窟フラメンコ

 
 
 
 
 
スペインに行く目的のひとつは
12年前に見て感激したグラナダの洞窟のタブラオで行われるフラメンコを
再び、観ること。
 
スペイン各地でフラメンコのショーは行われているが、
本来、フラメンコはヒターノ(ジプシー)のものなので、
マドリッドやバルセロナといった都市部ではなく、グラナダやへレスなど
南の地方のものにこそ、その神髄はある。
 
その差は歴然で12年前に全くの素人だった私でさえ、
マドリッドのものは観光客向けだということが分かった。
 
その当時、グラナダで観たフラメンコに衝撃を受け、
帰国後、さっそく検索して、フラメンコを初め、
7~8年はレッスンしただろうか。
 
壁にぶち当たり、やめてしまった今も、時折は昔の仲間のライブなどを観ているので
今回、また本物に触れられることを心待ちにしていた。
 
アルハンブラ宮殿の見学を終え、ホテルに着いて夕食を済ませ、部屋に戻り、
また再集合してから、ミニバスで丘の上のタブラオまで向かう。
時間は限られていたけど、私達はショーを観るためにワンピースに着替え、
テンションを上げた。
 
私は赤いワンピースに黒い編みタイツ、黒い靴にした。
 
前回の洞窟フラメンコはぐるり取り巻いて座っている私達の目の前で
踊り子達は踊り、同じフロアにカンテという歌い手とギター奏者もいた。
 
同じフロアなので、目の前で激しく踊るスカートの裾が翻り、
踏みならす足のステップに床が振動し、汗が飛んできた。
 
そして、最後の10分、お客を誘って一緒に踊ろうという時に、
ひとりの中年の踊り子が私の目の前に立ち、「来て」と言って誘ってきた。
 
全く何も知らない私だったが、見よう見まねで手振りをし、くるりと回った時、
同行のツアーメンバーから拍手が起こった。
 
それに味をしめた私は帰国後、フラメンコ教室に通い出したのだが・・・。
 
今回の洞窟フラメンコは別のファミリーが経営するタブラオで、
行ってみると奥に舞台があり、細長い洞窟いっぱいに椅子が並べられていた。
 
「この舞台のスタイルでは最後にお客が引っ張り上げられることはないな」と
少しがっかりし、少し安心した。
 
今の私はフラメンコの難しさを知っているので、
昔の私のように屈託なく身振り手振りのまねは出来なくなっているからだ。
 
ワンドリンク付きなので、飲み物の注文をし、会場がわさわさしていると、
後方からギターとカンテの男性と、ふたりの女性の踊り手が舞台へと上っていった。
 
太ったカンテのおじさんががなるように歌い出す。
ギターにキレがあって、ドラマチックな音色だ。
まずは顔の小さな若くて美人の踊り手が、1番手として踊り出した。
 
途中、たくし上げたロングスカートの中から
可愛い顔とは似つかわしくない肉感的な太ももが現れ、ドキドキする。
 
巧みなステップに、私達のグループも、隣の外人のグループも
呆気にとられているのが分かる。
 
自分も少しはステップの練習を経験したから、それがいかに難しいか分かる。
なぜ、こんなに激しいダンスを自分もやってみたいと思ったのか、
身の程知らずもいい加減にしろと顔が赤くなる。
 
二人目の踊り手はその若い娘のおばあちゃんかと思うほど年上だが、
眼光鋭く会場を睥睨し、
カメラのフラッシュはお断りなのに、誤って光らせた外人に向かって
何か叫んでいる。
きっと「こんなんじゃできない」とか何とか言っているに違いない。
 
しかし、若い娘の後におもむろに立ち上がり踊り出すと、
会場は娘の時とはまた違う空気に包まれた。
 
手につけたカスタネットの音がギターの音色と共鳴して力強く弾け、
昔取った杵柄は伊達じゃないと言っているようだ。
 
後半はフルメンバーチェンジ。
今度は男性の踊り手1名と女性の踊り手2名に、男性のギターとカンテだ。
 
フラメンコというと水玉のロングドレスを着た女性の踊り手の印象が強いが、
どっこい、男性の踊り手のかっこよさと力強さはハンパない。
 
後半のトップに踊った猿顔の男性は
面差しが似ているので前半のおばあさんの息子かも知れない。
 
顔に見覚えがあるので、日本で公演したか、教えにきたことがあるかも。
 
そんなことを考えていたが、
踊り出して、ビックリ。
 
まさに釘付けのサパテアードは迫力満点、
ズボンから浮き上がる腿の筋肉がけもののように動き、
靴のかかととつま先で強い音をかき鳴らす。
 
長い髪から汗がしたたり落ち、最前列に降りかかっているのが見える。
 
私は「これを観るためにスペインに来たんだ」と確信する。
 
その後、ふたりの女性が踊り、1時間15分ほどでショーが終わった。
少し明るくなった店内では、連れの友人が興奮冷めやらぬ様子だ。
 
体中をアドレナリンが駆け巡り、
何かが突き上げてくるような錯覚に陥る。
 
「凄かったね~」と
それ以外の言葉が見つからない。
 
12年前のあの日の無知ゆえの馬鹿さ加減に呆れつつ、
フラメンコは自分でするものではなく、観るものであり、
感じるものだと理解したのであった。

スペイン紀行③ 圧巻のアルハンブラ宮殿

 
 
 
 
 
 
4日目の朝を迎えた。
「ギックリ腰の運転手さんに代わる運転手さんは見つかっただろうか」
「昨日、悪魔の橋の駐車場に乗り捨てたバスは、今朝、来ているだろうか」
 
そんな心配を胸に朝食を済ませ、ロビーに出ると、
そこにはマドリッドからかけつけてくれた運転手さんが、我らがVIPバスを運転して
到着していた。
 
前の晩遅くにマドリッドからAVEと呼ばれる新幹線でバルセロナに出て、
バスとタクシーを乗り継ぎ、悪魔の橋の駐車場でバスを拾い、バスの中で仮眠をとり、
朝、マッサルファサールのホテルまで駆けつけてくれたのである。
 
日本でいえば、東京の運転手さんが大阪まで新幹線で行き、
そこからバスとタクシーを乗り継ぎ、姫路の駐車場で空のバスを拾い、
これから九州旅行に行く私達のために広島に来てくれたようなもの。
 
何とか昨日の緊急事態を挽回し、バスは無事、一路グラナダを目指し発車した。
そこから、グラナダまでは何とまだ550㎞もあるのだ。
 
ところが、またもや問題発生。
 
運転手さんが道を間違え、50分のロス。
目指すアルハンブラ宮殿の入場は予約制なので、遅刻すると入れなくなる。
 
遅れを取り戻すため、途中下車のランチはレストランではなく、
バスにサンドイッチと水を持ち込み、走りながら済ませることに・・・。
 
今回2度目の生ハムを挟んだパンをかじりながら、
とんだスペイン旅行になりつつあると、思わず友人とため息をついた。
 
私達にはもはや気を揉む以外何も出来ないが、
添乗員さんのバス会社と運転手さんへの苛立ちもマックスに・・・。
 
しかし、ランチ返上の甲斐あって、何とかギリギリ予約時間の4時半には到着。
そして、グラナダの街は本当に美しく、アルハンブラ宮殿も圧巻だった。
 
 
 
現在のスペインは97%がキリスト教だが、
その昔、イスラム教徒が多く住んでいた。
 
1492年、レコンキスタと呼ばれる国土回復運動により、
イスラム教のユダヤ人が国外追放になった後も、
イスラム建築の素晴らしさをリスペクトしていたスペイン人がそのまま保存し、
現在まで多くの建築物が残っているのがスペインの大きな特徴だ。
 
その代表格がアルハンブラ宮殿。
 
グラナダの赤い丘に立つテラコッタ色の城壁からは想像も出来ないほど
中は精緻で豪華な装飾が施され、涼しさを演出する創意工夫に満ちている。
 
壁一面を埋め尽くすアラベスク紋様、鮮やかな色彩のタイル、
パティオと呼ばれる中庭には木々が植えられ花が咲き乱れ、噴水がある。
 
アーチ型の窓の向こうにはグラナダの街が見下ろせ、
渡る風がほおに優しい。
 
私達はふたりで行ったトルコのイスラム建築を思い起こしながら、
たっぷり2時間かけて、メスアール宮、ライオン宮、コマレス宮と進み、
最後はヘネラリフェという夏の離宮を、ガイドさんの説明を聞きながら見学した。
 
バルセロナとは全く違うクラシックな雰囲気のグラナダの街、
イスラムの神秘的な建物、アルハンブラ宮殿。
 
前日から続いた交通関連のトラブルでささくれていた心が、
そこここで薫る花の香りと独特の美しい空間の中で癒されていく。
 
世界中のどこにもないイスラムとキリスト教の融合の地スペイン。
 
その代表格アルハンブラ宮殿にすっかり魅了された私は、
スペインの魅力を再認識したのであった。
 

2017年4月17日月曜日

スペイン紀行② 旅(トラベル)の語源はトラブル

 
 
 
それは『悪魔の橋』から始まった。
 
スペイン旅行3日目。
その日は午前中、バルセロナで自由時間を過ごし、
午後は世界遺産、タラゴナの水道橋を経て、マッサルファサールへと
350㎞もバスで移動する日であった。
 
その日から私達のバスは横3列シートのVIPバスになり、
長距離移動も革張りのリクライニングシートで悠々と過ごすはずだった。
 
午前中、私と友人はピカソ美術館とカサ・ミラやカサ・バトリョなどを見学し、
早速、ミュージアムショップで気に入ったお土産を手に、
午後1時半、バスに乗み、バルセロナを後にした。
 
スペインは予想以上に上天気で、朝晩は10℃を下回るのに、
日中は30℃越えになるほど、1日の寒暖差が激しい。
なのに、
2日目のバスはエアコンが全く効かず、具合の悪くなる人が出る始末だったが、
3日目からは別のバスになったので、
これで快適なバスの旅が楽しめると思った・・・。
 
バルセロナを出発し、100㎞ほど走ったところで、
2000年前に造られたというタラゴナの水道橋に到着。
 
2000年前に造られたなんてとても信じられない立派な橋なので、
「きっと悪魔が手伝ったにちがいない」ということで、『悪魔の橋』と呼ばれている。
 
私達は駐車場から橋まで散策し、固まった手足を伸ばし、
気持ちのよい風を肌に感じ、何枚か写真に収めてバスに戻ってきた。
 
すると添乗員さんが血相を変え怖い顔でこう切り出した。
 
「皆さん、緊急事態発生です。
バスの運転手さんがギックリ腰になって、全く動けないといっています。
今、救急車を呼んだところです。
私達はこれからまだ260㎞も先のマッサルファサールまで行かなければならない
のですが、高速道路の真ん中にいて代わりの運転手さんが見つからない状態です。
何とかしますので、しばらくお待ちください」
 
「何とかするって、どうするんだろう」
みんなの顔に不安の色が浮かんだ。
 
添乗員さんが必死に誰かとケータイでやりとりしている。
ほどなくして、本当に救急車がやってきた。
スペインの救急車は鮮やかな黄色い車体だ。
 
救急車の記念撮影をしていると、添乗員さんからまた、連絡が来た。
「後ろに走っていたLOOK JTBのバスに乗せていただけることになったので、
30分ほどいったところのサービスエリアに移動していただきます。
この駐車場は何もありませんが、
そこなら、トイレもちょっとした食べものもありますので、
そこで打開策が決まるまで待っていただくことになりました。
ほんとうにごめんなさい」
 
ということで、ほぼ同じ旅程で走っていた後続のJTBのバスに25人は乗せてもらい、
少し先のサービスエリアで降ろしてもらった。
 
JTBのバスは横4列シートのバスに15名ほどのお客さんだったので、
私達25名も乗り込めたのだが、地獄に仏とはこのことか。
もし、逆の立場だったら、私達のバスに15名を乗せる余力はない。
 
添乗員さんだけを水道橋の駐車場にひとり残し、私達はトイレのある休憩所で
いつ来るとは知れない代車のバスを待つことになった。
時すでに夕方の5時。
 
スペインの4月は7時半に夜が明け、夜8時半を過ぎて日が暮れる。
夕方5時では、外はまだ明るいのだが、気持ちは暗い。
 
結局、私達はその場で4時間待って、夜9時、
マドリッドから別のバスが到着し、もちろん別の運転手さんの運転で
260㎞先のマッサルファサールへと向かった。
 
マッサルファサールのホテルに着いたのは辛くも日付が変わる少し前の11時半。
ホテルで用意してくれた食事を、皆、静かに口に運び、
長い長い「待ち」の1日は、日にちをまたいでようやく終わった。
 
今回の旅行、何を隠そう、行きの飛行機にも遅延があって、
乗り継ぎの飛行機が3時間遅れ。
(スペインはほとんどが乗り継ぎ便になる)
 
現地時間の夜9時にバルセロナ着の予定が、
夜中の1時に空港に到着した。
そこからホテルまで30分。
 
スペインは夜中の1時半だが、時差が7時間あるので、
日本は既に次の日の8時半。
つまり、徹夜で起きて、飛行機を乗り継いで来たことになる。
 
つつがなく観光を遂行するために、起床時間は予定通りの7時だったから、
旅の一行は初日から寝不足だ。
 
なぜか毎日毎日交通関係にトラブルが続く。
 
「トラブルが起きるのがトラベルだ」
そう開き直られちゃ、返す言葉がないが、
添乗員さんも長い添乗員生活でここまでシリアスなトラブルに遭ったのは
初めてとか。
 
その添乗員さんの機転と行動力と決断力と語学力には恐れ入るが、
バス会社には
ぜひ一度、交通安全のお祓いをお願いしたいと心から思った。
 

2017年4月16日日曜日

スペイン紀行① ガウディの街バルセロナ

 
 
 
 
 
4月7日、ついに待ちに待ったスペイン旅行が始まった。
 
12年前に1度は来たことのあるスペインだし、
その時観たフラメンコがきっかけで、直後にフラメンコを始めたぐらいだから、
私の大好きな国なのだが、
今回はサグラダファミリアの完成が見えてきたということで、
その進捗状況を見届けようと再び出掛けることにした。
 
連れはここ数回、ずっと海外旅行といえば一緒のKさんだ。
Kさんにとっては初めてのスペイン。
 
さてさて、どんな旅が始まりますやら・・・。
 
旅程は10日間、25名のご一行様と一緒にVIPバスに乗ってバルセロナから南下して
グラナダ・ミハス・セビージャ・コルドバ、そして、古都トレド、
最後にマドリッドへとスペインの主だった世界遺産を巡る旅だ。
 
まずはガウディの建築が点在するバルセロナから、旅は始まった。
 
ガウディ建築で最も有名なものはサグラダファミリアだが、
12年前に訪れたときはまだ、教会とは名ばかりの建築現場で、
大聖堂の中には建築資材が積み上げられていた。
 
完成はあと100年かかるだろうともいわれていたそのサグラダファミリアだったが
何と、2026年、つまり、あと9年で完成するという。
 
その要因は、日本人彫刻家の外尾悦郎さんが主任になったことと、
3Dプリンターの発明が工期を早めたとかで、
さすが日本人の勤勉さと、文明の利器の力は凄い。
 
前回、ゼーゼーハーハー言いながら上った400段以上ある螺旋階段は
今はエレベーターで上って、階段で下りるというシステムになっていて、
格段に楽して、
サグラダファミリアの頂上からバルセロナの町並みを眺めることが出来た。
 
再び観てもガウディの個性と
自分が生きている内には完成しない壮大な建造物を造ろうという破天荒な着想に
脱帽する。
 
されど、急展開で進んだ新しい部分は真新しすぎて、
カラフルなフルーツや動物などで飾られた屋根や柱が、
何だかアミューズメントパークのおうちみたいな感じは否めない。
 
ただ、その大きさが図抜けているのが、
圧倒的な迫力を生んで、やっぱり「参りました」と言うしかない。
 
今回はバルセロナ2連泊だったので、フリータイムも半日あり、
2日目は街に点在する他のカサ・ミラやカサ・バトリョなどのガウディ建築も
歩いていって、間近で観ることが出来た。
 
また、園全体がガウディ作の
グエル公園のシンボル、トカゲのタイルのオブジェの前は
ひっきりなしの観光客で割り込むスキがなかったし、
園内のタイルが貼り付けられたうねうねベンチも
あちこちでカメラに向かってポーズする人で賑わっていた。
 
写真好きの私達はそれにひるむことなく、
「機を見て敏」の俊敏さというかおばさんパワーを発揮して、
それぞれのカメラで撮り合う連係プレイは長年培った熟練の技である。
 
それにしても、バルセロナは山と海に挟まれ、街全体が美しい上に歴史もある、
そして、ガウディというおもしろ目玉建築が街中に点在している魅力的な街だった。
 
自由散策の時間が取れたとはいえ、
まだまだ中に入ってじっくり見たかったけど・・・。
 
そして、旅の楽しみ、お買い物のスイッチは早くも点灯し、
ピカソ美術館とカサ・ミラのミュージアムショップで
Tシャツ3枚とベビー用よだれかけ、布製バッグを購入。
 
相方もTシャツ4枚と布バッグを購入。
 
「これはバルセロナでしか売ってないものですもの。買うのは今でしょ」と
お互い励まし合って(?)ユーロ・ショッピングの口火は切られたのである。
 
スペイン旅行の始まりはこうしてワクワク街歩きのバルセロナから始まった。
 

2017年4月6日木曜日

いよいよスペイン!

 
 
遂に明日、スペイン旅行に出発。
 
旅行は私にとって最大のストレスコーピング(ストレス解消法)なので、
その準備も徐々に気分を盛り上げる大切な行事である。
 
旅行の準備というと、細々めんどくさかったり、
逆に旅慣れてくると、大して下調べもせず、出たとこ勝負で大丈夫だと思ったりするが、
行くまでの時間にあれこれ考えたり、想像したり、買い揃えたりの時間が、
案外、一番楽しいのではないかと思っている。
 
実際の旅行中には、連れと毎日楽しく旅を進めたいと気を遣うし、
一緒のコースを申し込んだ初対面の人達とも大人の会話をしなければならないし、
飛行機は長時間だし、
思わぬアクシデントがあったり、時には風邪引いたり、お腹こわしたりと、
身も心も疲れるものだからである。
 
 
私の旅の準備はレポート用紙に洋服のコーディネイト図を描くところから始まる。
 
先ず、『世界の天気』でスペイン各地の気温をチェックする。
 
国土が広く、内陸部と地中海に面しているところでは気温差があるし、
イメージは温暖で地中海の風がオレンジの木にそよぐみたいな感じだけど、
緯度的にはバルセロナとマドリードが東北地方と同じということで、
寒さ対策も必要なことが分かった。
 
一方、すでに日中25度Cぐらいになる都市もあるとかで、
添乗員さんからの電話で、半袖も持っていくことになった。
 
急遽、レポート用紙に書いたコーディネイト図に初夏の装いをプラスし、
荷物から手袋とマフラーとヒートテックを抜いた。
 
半日の自由時間が2回と夕食がついていない日が1回あるので、
計3回は食事も含めて、どこで何を食べ、どう過ごすか考えなければならない。
 
スペインは完全に夜型の国なので、
夕飯は20時からだし、フラメンコのライブとかは20時半からで、
終わると10時半を回る。
 
いくら2度目のスペインとはいえ、
スペイン語も「オラ~!」と世慣れた感じで挨拶するぐらいは出来ても、
そこから先は身振り手振りのパフォーマンスが頼りというお粗末さだ。
 
相方の友人は初めてのスペインゆえ、
私よりもさらに異邦人なことは間違いなく、
きっと、「フラメンコも習っていたんだし、キミィがいろいろ知ってるでしょ」と、
私に甘い期待をしているだろう。
 
さて、そのあたりどうするか。
あれこれ考えたり、ガイドブックを読み込んだり、
それもすべて楽しい作業だ。
 
妄想が現実に。
カウントダウンがリアルタイムに。
明日、変わる。
 
16日、帰国の後に、
いつものようにスペイン紀行をアップさせていただきます。
また、ブログでお目にかかりましょう!
 
ではでは、行ってきま~す!

2017年4月5日水曜日

北鎌倉の春

 
 
 
 
 
あさってからスペイン旅行が始まる前に、ようやく来た日本の春を味わいに、
北鎌倉の円覚寺をお参りしてきた。
 
いつものお茶のお稽古の日だったが、1時間半ほど早く家を出て、
ひとり山門をくぐった。
 
昨日から上天気に恵まれ、日差しがだいぶ力強い。
風は少し冷たいが、気温はぐんぐん上昇し、この陽気に繰り出した人で
境内はかなり賑わっている。
 
昨日観た大岡川の川縁の桜はせいぜい五分咲きだったが、
今日の円覚寺の桜は七~八分咲き。
ちょうど見頃といっていい。
 
ずんずん進んで一番奥の黄梅院の前で折り返し、
帰りにやっぱりここまで来たら国宝の洪鐘(おおがね)を拝まなければと、
階段を上ったら、予想を超えるかなりの段数があって青息吐息。
 
それでも手摺りにしがみついて登頂し、
頂上の鐘を拝み、弁天堂で手を合わせ、
長女の無事の出産と、自分のスペイン旅行の無事をお祈りした。
 
「このように 生まれてきて
このように 生かされて
いま 生きている
これこそ 仏心
如来 無量のいのち
ありがたく 手を合わす」
 
私達がこうして、
今、生きているということは、
そこに仏様がいらっしゃる
ということなのであります。
それが何よりも尊いものであります。
 
その事実がどれだけ素晴らしいことであるか、
心の底から感動して気づくことが大切です。
 
と、解説にはある。
 
娘が新しい命を授かり、もうすぐ、この世に生まれようとしているありがたさ、
ダンナをうち捨て、友人とお気楽にスペイン旅行にいけるありがたさ。
 
いろいろなことに感謝し、
生きていることの素晴らしさ、
生かされていることのありがたさを噛みしめた。
 
北鎌倉のお茶のお稽古場では、4月ならではの釣り釜がかけられ、
旅箪笥という御棚が用意されていた。
 
季節の移り変わりをこうしたお道具組に感じながら、
今年の桜の季節をお社中の皆と楽しむ。
 
優雅でゆっくりとした時の流れの中で
今、こうして生きていること、日本人に生まれたことなど、
自然と感謝の気持ちが湧いてくるのを感じた。
しみじみ・・・。
 
でも、あさってからは私、スペイン人だけどね~。
ごめんね、ごめんね~~。