2016年8月27日土曜日

実り多きタンゴ合宿

 
 
 

 
昨年11月より通っている「アルゼンチンタンゴ 音楽とダンスの魅力」と題された
鶴見大学生涯学習のコースの仲間と
那須にある鶴見大学寮で行われたタンゴ合宿に参加した。
 
生涯学習のコースは、授業の半分がタンゴの歴史や音楽に関する座学、
もう半分がタンゴダンスの実技という変わった形の授業である。
 
当初、私はピアソラのことを深く知りたくて受講したので、
実技の部分にはさほどの興味はなかった。
 
しかし、2クール目(1クール10回)が7月に終了した今、
月に1度のサリダの会という実技オンリーの学習会にも行くようになり、
タンゴを踊ることへの面白みが増してきている。
 
他の受講メンバーにも同じように踊ることに魅せられた人は何人もいて、
今回はそんな踊り手達が更なる上達を目指して集った。
 
メンバーはダンス歴7年のベテランから、3ヶ月の初心者まで。
 
この合宿の目的は主には参加メンバーと先生との親睦だと聞いていた。
私は夏はどこも混んでいる上に高いので旅行はしないし、
暑い8月の横浜から逃れたいという安気な気分で、参加することにした。
 
2台の車に分乗して、那須の大学寮に参加したのは先生ご夫婦+11名。
男性5名に女性8名とこの会としては珍しく女性の数が多かった。
 
鶴見大学は総持寺と関係があるせいかお金回りがいいらしく、
とても立派な寮に美味しいお料理を作ってくれる親子の寮長さんがいてくれた。
 
我がアルゼンチンタンゴチーム貸し切り状態で1泊2日のタンゴ合宿が始まった。
 
メンバーの親睦が目的と聞いていた割りには、
スケジュールがバッチリ決まっていて、昨日は到着するなり、体操着に着替え、
ゴルフボールを使った凝りほぐし体操を30分。
 
その後、レッスン着に着替え、ダンスレッスン75分。
 
小休止の後に夕食。お風呂タイム。
 
そして、午後8時から11時半まで、なんと踊り明かすというミロンガタイムだ。
 
通常は9㎝のタンゴ用ピンヒールを履いているが、室内のフロアなので、
ストッキングかバレエシューズを履いて、
つま先だったまま背筋を伸ばして踊ること、約5時間。
 
今回のテーマは「男性のリードをフォローする女性がどう受け取るのか
男性はどう女性に自分の意思を伝えるのか」というタンゴダンスの根幹をなす
課題について。
 
ミロンガダンスというのはショーのためのダンスではないから、
あらかじめ振り付けが決まっているわけではない。
 
写真は10月のショーでデモンストレーションをするメンバーの踊りなので、
フォーメーションが決まっている。
 
しかし、通常は男性が踊りたい女性を誘って、
ふたり向き合い、軽く抱き合って踊る。
 
かかった曲を聴いて、男性のリードを察知して、一瞬遅れて女性がフォローする。
(同じようについていく、もしくはステップを踏む)
女性は男性がどんな風に踊るのか推測して先に動いたりすることなく、
相手の気やちょっとしたホールドの感触、足の重心や動きで、
次の動きを感じてついていく。
 
最初は男性のリードなくして全く女性は能動的に動いてはいけないということ、
そのものに驚いたし、抵抗もあった。
 
しかし、半年ぐらい経つうちに上手な男性の巧みなリードを感じて
踊らされることの心地よさを感じられるようになってきた。
 
今回はそうしたリードとフォローの究極のコミュニケーションを
いつもの何倍もの時間、じっくり踊り込むことで、体感することが出来た。
 
そもそも踊りやすい相手とリードが分かりにくくて踊りにくい相手がいたのだが、
その伝え方のタイプの違いを超えて、
誰のリードも読める出来る女を目指し、
ひたすら神経を集中し、つま先立ち、背筋を伸ばして踊って踊って踊りまくった。
 
お陰で、タンゴダンスの神髄の部分にちょっと触れることが出来たし、
同じ相手でも、今の踊りで通じ合えたと一体になる瞬間を共有することも出来た。
 
今まで細切れに説明を受けて、次々チェンジしなければならない相手に
疑問を深掘りすることなど出来ずにいたことが、ここで少し解明した気がする。
 
参加者中、私を含む3人の初心者女性陣は
この合宿中の数時間の間にも目に見えて上達したと褒められ、
参加してよかったと実感。
 
もちろん夜中の2時半まで、飲んで食べてしゃべって、親睦も深まり、
タンゴダンスの物言わぬコミュニケーションの奥義に触れ、
実り多きタンゴ合宿は幕を閉じた。
 
さて、この先、タンゴダンスを我が人生にどのように位置づけるか
これは大きな問題なのだが、
昨日今日ご一緒した先生ご夫婦を含むメンバー全員との距離が縮まり、
新しい交友関係が結べるのではと嬉しい予感がする。
 
 

2016年8月23日火曜日

シネマ歌舞伎 「牡丹灯籠」

 
今月のシネマ歌舞伎は2007年10月に歌舞伎座にかかった「牡丹灯籠」
 
去年の七月大歌舞伎の夜の演目でもある。
去年はチケット手配にちょっとした手違いがあり、
なんと、「牡丹灯籠」は2回も観ているから、役者陣の細かな演技も記憶に新しい。
 
女房お峰の役は坂東玉三郞で同じだが、
その亭主の伴蔵役は、2007年の時は片岡仁左衛門で、去年は市川中車だった。
 
また、ストーリーテラーの重要な役どころとして、落語家が出てくるのだが、
2007年に坂東三津五郎がやったところを、去年は市川猿之助。
 
去年の猿之助と中車、それぞれの芸達者ぶりが脳裏に強く残っていたので、
同じ演目を9年前はどんな風に演じていたのか気になって、
東銀座まで出掛けることにした。
 
玉三郞が今、必死に育てようとしている若手というか中堅のひとりは
猿之助だと思うが、去年の落語家ぶりは、怪談話をする落語家の
不気味さや凄みを感じさせ、さすがだと思った。
 
9年前の落語家は三津五郎だったが、
こちらは正当派というか、どこかおっとりして品がいい。
この時、三津五郎は三役こなしていて、馬引き男との好対照の役作りが見事だ。
 
玉三郞のお峰役は9年前も1年前もさほど変わりがなく、見た目の感じも同じ。
ずいぶん前から、はすっぱな女房役をこなしていたことにビックリ。
それでも去年の方が面白みが増していて、客席の笑いも大きい。
歳と共に何か吹っ切れたのかも。
 
亭主の伴蔵役が一番タイプが違っていて、
去年は中車だったから、本当に立て板に水の語り口調で、
おもしろ可笑しさが全面に出ていたから、伴蔵はそういう役だと思っていた。
今後、中車のはまり役になるに違いないと踏んでいる。
 
そしたら、9年前の伴蔵は仁左衛門だったから、
もっとシュッとした旦那風で、語り口調もさほどべらんめいじゃない。
 
姿形のバランスは9年前の玉三郞&仁左衛門の方がお似合いだ。
 
でも役どころの面白みは中車の方が上だろう。
 
今日、観た映画は途中15分の休憩を挟んで2時間45分もかかっている。
途中で何度か眠くなって、ふと気づくと最後の大立ち回りになっていた。
 
去年の幕切れと違う形だったから、
9年前の形じゃ長すぎてお客が飽きちゃうと思ったか、
最後の方の演出を変えて、少し短くしているような気がする。
 
まあ、最後、寝過ごしているので、大きなことは言えないが・・・。
 
歌舞伎鑑賞の醍醐味は、こうした古典の演目を、
役者の配役を変えた形で観ることにもある。
 
贔屓の役者、上手い役者、目をつけている役者など、
気に留めている役者の成長ぶりや、配役による演じ分けを追いかけることは、
ある程度、年数かけて見続けてきたファンの楽しみ方である。
 
夕方、なじみの呉服店で新しく担当についてくださることになった方から
電話があった。
先日、1度だけ、キモノバッグと草履を求めたときにお目にかかった方だ。
お決まりの展示会のお誘いだった。
 
そちらの方は丁重にお断りしたのだが、
その方も歌舞伎通で、
ひょんなことから10月の歌舞伎座、夜の部のチケットを取って下さるとこのこと。
演目は玉三郞の「藤娘」!
 
いつもチケットを取って下さるおばあちゃまが体調不良で入院中なので、
歌舞伎チケット入手は当分無理と諦めていたところ。
 
これで、また、少し先にお楽しみが出来た。
 
そして、何より、歌舞伎のお話ができる友人が新しくできたことが嬉しい。
呉服店にお勤めならば、もちろんドレスコードはキモノだろう。
10月ならば、暑さも抜けて、キモノで歌舞伎に行ける。
 
思いがけず、
新しい歌舞伎フレンドの出現にウキウキする8月の蒸し暑い夕暮れだった。

2016年8月20日土曜日

どしゃ降りのお葬式

 
友人のダンナ様が亡くなられ、お葬式に出席してきた。
 
次女のママ友として、15年ほど親交のある友人のダンナ様で、
一度もお目にかかったことはないが、親の代ではなく、友人のお連れ合いとなると、
お知らせをいただいて伺わないわけにはいかないだろうということになった。
 
本当は亡くなられたのは11日ということだが、お盆を挟んだ諸般の事情と
20日の今日がダンナ様の70歳の誕生日だったからという理由で、
だいぶ日にちを開けてのお葬儀となった。
 
私達は7人グループのママ友として年数回会ってきたが、
今日はその内の3名が伺うことになり、
夕べのお通夜に参列した友人もいたようだ。
 
朝、9時過ぎに横浜を出たときには霧雨程度だった雨が、
駒澤大学駅に着いて、外に出たときには、
台風が上陸したのかと思うような暴風雨になっていた。
 
地下鉄から地上に出た出口の目の前には太い幹線道路が走っていて、
タクシーなどの車寄せなどもなく、
景色が白く煙るほどのたたきつける雨を前に、
喪服姿の何人かが呆然と立ち尽くしていた。
 
新調した喪服も靴もストッキングもなにもかもが、そこにいるだけでびしょ濡れだ。
傘など何の役にも立ちそうにもない。
 
側にいた喪服の若い女性ふたり組に声をかけ、
何とかタクシーをひろって一緒に斎場までいこうということになった。
 
タクシーはほとんど走っていなかったが、
幸い目の前を通り過ぎた1台のタクシーが10メートルほど先で止まり、
お客を降ろし始めた。
 
思わず娘の手を取るように若い女性の手をつかんでタクシーに走り寄った。
3人のお客が降りて、3人の私達が乗り込んだ。
 
こうして、全く逆方向とはいえ、タクシーを捕まえることが出来、
途中でUターンしてもらって、何とか斎場までたどり着くことが出来た。
 
大雨で人がうまく集まらない中、
葬儀は定刻に始まった。
 
無宗教によるお葬式に出席するのは初めてだったが、
白とブルーで作られた花祭壇の中央に、穏やかなお顔のダンナ様の遺影が飾られ、
「ヘイジュード」をはじめとするビートルズナンバーがバックに流れている。
 
ダンナ様が近年、趣味で作られていた陶芸作品や
ヨットに乗られるときに身につけていた胴着などが前室に飾られ、
家族が寄せた文章と共にたくさんの写真がパネルになっていた。
 
お坊さんの読経が聞こえるわけでもなく、神主さんがいるわけでもなく、
お花も喪主と書かれた立て札2台だけというシンプルで美しい祭壇だ。
 
私達は白いカーネーションを1本ずつ手にして、献花した。
しめやかな祈りの時が流れている。
 
お香の香りが立ちこめ、低く読経が響くお葬式か、
教会で賛美歌を歌ったり司祭様のお話を伺うお葬式か、
もしくはお祓いのある神道のお葬式しか知らなかった私には、
「ヘイジュード」の調べは新鮮で、
無宗教のお葬儀というのもアットホームで悪くないなと思った。
 
友人もダンナ様が亡くなって10日近くが経ち、今は落ちついた様子で、
涙もほとんどない静かで穏やかなお式だった。
 
きっと寂しくなったり、夫がいないことを実感するのはこれからだと思うが、
今夜から友人のひとり暮らしが始まる。
 
それぞれ独立している息子さんご夫婦やお孫さん、
昨年、ひとり暮らしを始めた娘さん(我が次女と同級生)は、
折に触れ、お母さんの元に帰って来てあげて欲しいなと思う。
 
「亭主、元気で留守がいい」というのと、
本当にいなくなってしまったのでは違うから・・・。
 
1時間半ほどして、出棺のため斎場の外に出てみると、
先程のたたきつけるような雨は一転、
晴れ上がって陽が射している。
 
「いったい、さっきの雨は何だったの」と口々にいいながら、
いつものママ友ふたりを誘ってレストランでひと休みすることにした。
 
人生は突然、雨が降ることもあるし、
カラリと晴れることもある。
 
大動脈乖離で倒れてそのまま亡くなってしまったダンナ様の突然の死を
どうか上手に受け止め、乗り越えて、
再び、陽の射す日々を早く取り戻してくださいと祈りつつ・・・。

2016年8月15日月曜日

ウェルカムボード完成

 
昨日から作り始めたウェルカムボードが完成した。
 
昨日、額縁の木部部分に、直接、グルーガンで花やリボンをくっつけ、
額縁を利用したリースのような外回りを作るところまでは順調に進んだ。
 
しかし、額の中のメッセージ部分はカリグラフィーで使うようなフォントの文字を
使うためにはどうしたらいいのか。
 
ハンズには「額縁を買ってくれた人にはメッセージ部分を無料でプレゼント」とか、
「花のリースを買ってくれた人にはボードの文字を無料で入れます」とか、
「材料をキットで買った人にはメッセージを無料で」という案内ばかり。
 
しかも、そのキットはいずれも10000円とか15000円とかする。
 
文字だけを作ってくれる会社はいろいろ調べたがなかった。
 
世の中、そんな商売にならないサービスはないらしい。
 
友人でカリグラフィーを趣味にしている人がいて、
一瞬、文字部分は彼女に頼もうかという考えがよぎった。
しかし、それでは完全には母の手作りにはならなくなってしまう。
 
次女はグラフィック・デザイナーだから、相談すれば何とかしてくれるだろう。
 
しかし、猛烈に忙しくて、盆も正月もなく働いている彼女が
手助けしてくれるのはいつのことやら。
せっかちな私には、到底、待ちきれない。
 
というわけで、「自分で何とかしてやる」の一念でパソコンを立ち上げ、
まずは使いたい文言やふたりの名前、結婚式の日付などを入力。
 
次にカリグラフィーに使うようなフォントを検索。
 
Windowsの中にはほとんどそうした飾り文字は見当たらないのだが、
いくつかこれならばというフォントに変換してみた。
数字の部分がなぜか変換されないものの、一番イメージに近いフォントが見つかり、
それを微調整して、
和紙のようなニュアンスのある白い紙(パソコンプリンタ対応)に印刷してみた。
 
お、いい感じ!
 
手書きにするのか、業者に頼むのか、次女に助けてもらうのか、
あれこれ考えていたけど、もうこれで解決だ。
 
娘がドレスに選びそうなブルーの紙の上にメッセージの書かれた和紙をのせ、
金色のレースと王冠をポイント柄として、シールのように使用し、
外回りの華やかさとイメージを合わせたつもり。
 
こうして出来上がったウェルカムボードの写真を早速LINEで送って娘に報告した。
 
すると、すぐさま、「Happy Wedding」は変じゃない?と返信が来た。
 
しかし、次女はこれまで何度かウェルカムボードを作ってきて、
後々部屋に飾るためには
「HappyWedding」にした方がいいとアドバイスをもらっていたので、
「Welcome to Our Peception」では後から部屋に飾るのに変でしょと、抗議。

娘から一緒に送られて来た、
全部花で取り囲んだロマンチックなリースの写真には目もくれず、
「額の一部を残した方が大人っぽいし、エレガントだし、豪華でしょ!」と
全体のイメージに関しても、一歩もひかない。

そして、「ちゃんと見てご覧なさいよ」とばかりに、
もう一度、完成したウェルカムボードの写真を添付した。

あまりの母の自画自賛ぶりに圧倒されたのか
娘からは「ホントに素敵★」と、返信が返ってきた。

せっかちで思い込みの激しい母に対して、
「とほほ・・・。何をいってもこりゃ無理だ」という心の声が聞こえた気がする。


2016年8月14日日曜日

夏休みの宿題 ウェルカムボード

 
 
 
先日、入籍した娘から、11月の結婚式に向け、
ウェルカムボードを作って欲しいとリクエストがきた。
 
最近の結婚式に出たことがないので、
ウェルカムボードというものの存在をよく知らない私だったが、
花嫁は何か手作りのものを身につけると幸せになるという言い伝えがあると思うので、
直接、身にはつけないが、作ってみることにした。
 
しかも、似顔絵とか、前撮り写真とかの入ったものではなく、
リースの形のものがいいというサンプル写真を見せられたので、
造花やリボンを使った立体的なものにすることに・・・。
 
最初はシャドーボックス用の厚みのある額の中に、
花で彩ったリースを埋め込もうと考えたが、
技術的な問題とときめく材料に出会えないまま、すこし時間が経った。
 
ある日、自分のストックルームに
八角形の形をしたクラシックテイストの額縁があることを思い出した。
 
ペン画の作品にちょうどいいステキな額縁だと思ってもとめておいたが、
陽の目をみることなく10年以上が経過していて、すっかり忘れていたものだ。
 
取りだして眺めてみると、八角形はリースに見えなくもない。
大きさも丁度いい。
ここに直接造花を貼り付ければ、豪華なリースになるだろうし、
中にカリグラフィー的な飾り文字でメッセージやふたりの名前を書けば、
ガラスも入っているので、
相当ゴージャスなウェルカムボードになりそうだ。
 
そうはいっても、造花を直接、額縁にくっつけるにはどうしたらいいのか。
カリグラフィー的な装飾文字は印刷できるのか。
それとも、手書きで書くのか。
 
よく分からない問題がいろいろ出てきそうだが、
とりあえず、近所のユザワヤと横浜の東急ハンズにいって、
材料をあれこれ仕入れてきた。
 
造花をくっつけるのはグルーガンというものらしい。
 
聞いたことはあるが、美術系なのに、恥ずかしながら使うのは初めて。
ピストル型の道具の中に細いろうそく状のグルーを差し込み、
コンセントをさして温めたグルーが溶け出したら、
熱いうちに垂らして貼り合わせるということなので、とにかくやってみることにした。
 
買ってきた造花を花の根元で切ってしまうのはちょっと勇気がいるし、
溶け出たグルーは、思いの外、火傷しそうに熱い。
 
それでもいくつか花を額に押しつけるようにくっつけている内に、コツが掴めてきた。
 
額全体に花をくっつけてしまうより額の生地部分を残した方が大人っぽいし、
オシャレだと感じたので、
花のリースにはなっていないが、右上と左下に花の塊を作って、
あとはリボンを遊ばせたり、パールを散らせることにした。
 
出来上がりは写真のとおり。
まだ、中のメッセージ部分は手つかずだが、
エレガントで大人っぽいウェルカムボードになったのではと自画自賛状態。
 
娘は気に入ってくれるだろうか。
 
こんな風に結婚式に向け、いろいろ考えたり、選んだりして、
準備すること。
 
そういうことのひとつひとつが楽しい思い出となり、
幸せになって欲しいと願う親心のあらわれになる。
 
カリグラフィー部分はきっと下の娘が助け船を出してくれるだろうし、
「グルーガン、面白いじゃん」という発見もあった。
 
先週、入籍したばかりの当の娘達は、
目の前の新生活を整えることでイッパイイッパイだろうと思うが、
母はお盆休みにいつもの彫り台に版木ならぬ造花を並べて、
ひとり、工作を楽しんでいたのである。

2016年8月11日木曜日

夏はやっぱりビールでしょ!

 
 
 
 
横浜は一昨日37、4℃、昨日が34℃と関西地区にはおよばないものの
今年一番の暑さになった。
 
そういう季節にはやっぱりおいしいビールが飲みたくなる。
 
そこで、絵画教室のメンバーと生麦にあるキリンのビール工場併設の
レストランに出来たてのビールを飲みに行くことにした。
 
教室は生麦という駅から15分ほどのところにあり、
そこから徒歩圏の工場に、去年暮れ、忘年会の名目でみんなで訪れ、
「次はビールのおいしい夏にも来ましょうね」ということになっていた。
 
その時、自分達は工場の出来たてビールの試飲でお腹いっぱいになって
飲めなかったけど、気になっていた6種の味変わりビールのセットを注文。
 
今回は工場見学はなし、つまり、工場見学についてくるビールの試飲もなしで、
まっしぐらにこの6種のビールめがけてレストランに向かった。
 
先ず、それぞれの前に6種の説明のかかれたきれいな紙が置かれ、
その上に100mlずつ注がれた小さなグラスが並べられた。
 
同じビールといっても、色が全然違う。
 
飲む順番のオススメを聞いてから、
まず、左端の「496」から。
香り高く個性的でありながら飲み口さわやかな美味なるビール。
(個人的にはイチ押し!)
 
次にその右隣の「COPRAND」
その次はひとつ置いて一番明るい色の白ワインのような「On the cloud」
そして、右隣のゆずと胡椒の味がする「Daydream」
 
1番右は赤ワインのような色でラズベリー果汁を加えて醸造した「JAZZBERRY」
最後は真っ黒い色でコーヒーのようなロースト臭のある「Afterdark」
 
それぞれ全く違う個性をもつビールをあれこれ感想をいいつつ、
注文したお料理と共にいただいた。
 
女同士、お料理はみんなでシェアしようということで、
ドイツソーセージの盛り合わせ、スパイシーなパテを挟んだ中近東風クレープ包み、
夏野菜のサラダ、ペンネ・アラビアータと、
料理の出身国はバラバラなれど、いずれもビールにぴったりの料理の数々に
舌鼓を打った。
 
昼間のビールは効くという定説どおり、一気呵成に飲んだり食べたりしたせいか、
すっかりいい気分。
 
暑気払いはこれに限ると思うような、
上出来なセレクション。
 
屋上ビアガーデンで夜風に吹かれて生ビールと枝豆というのもいいが、
ビール工場併設のオシャレなビアホールで、
ドイツソーセージをつまみながら、出来たてビールの聞き酒の方が、
ちょっとかっこいいかも。
 
そして、教室ではでてこないプライベートな話題には、
それぞれの生徒さん達の素顔が覗く。
 
私もつい、娘の結婚話のぶっちゃけ話を披露したりして、
おしゃべりな酒宴は真っ昼間から延々と続いた。
 
最近は行動半径が随分縮小して、新しいことに挑戦したり、
初めてのところに行ったりということがどんどん減っているけど、
今日はまたひとつ「いいとこみっけ!」で得した気分。
 
また、そのうち誰か別の人とくるのもいいな。
この夏のオススメ
生麦のキリン・ビバレッジ、ビール工場。
と、そのレストラン「SVB」なのでした。
 

2016年8月9日火曜日

猛暑日の過ごし方

 
 
 
朝起きて、階下におりてテレビをつけたら、
体操の団体が金メダルをとったと大騒ぎになっていた。
 
予選で内村が鉄棒から落下したりして、4位発進だと聞いていたので、
「団体の金を目指して頑張ります」とか目標に掲げていたけど大丈夫かなと
不安に思っていた私はにわかに活気づいた。
 
実はオリンピックの競技の中でも男子の体操はもっとも好きな種目で、
内村航平はもちろん絶対王者だし、
白井健三君も物怖じせずきっと凄いことをやらかしてくれると期待していたし、
加藤凌平君もハンサムでもの静かだけど、やるときはやってくれると思っていた。
 
そうしたら、決勝では本当にそのとおりの結果になったようで、
今日一日はテレビのザッピングをしながら、
彼らの活躍ぶりをしっかり見届けなければと、方向性が決まった。
 
なにしろ気温は朝の段階で30度を超しているし、
予想では横浜の最高気温は37度だというから、
これはたとえ買い出し程度でも外に行かない方がいい。
 
そう決めて、ペットボトルの水を抱きかかえ、アトリエに入り
彫り台の前に座り込んで版木に向かった。
 
8月に入ってから、新作の彫りに着手し、12面ある内の4面は彫り終えた。
1面クリアするとカレンダーに「1面クリア」と書き込み、
それなりの達成感と共に1日の仕事を終えるのだが、
12面クリアまでにはまだまだ時間がかかる。
 
木版画の作業工程の中で、彫りの作業は寡黙だし、
絵の具とかも出てこないから、目に見える華やかさもないし、
単に途中の作業にすぎない職人仕事だ。
 
テレビで内村航平が金メダルを手にして、
「すっごく重たいです。今までに手にしたメダルの中でも、みんなの頑張りみたいな
よくわけの分からないものも入っているから、2倍重たい」みたいな
コメントをしていたが、
版画の彫りのパートも日々の努力・下支えという点では同じかもと思った。
 
私達は最後のパフォーマンスしか知らないけど、
オリンピックに出ている選手達が、期待を背に、
毎日、積み重ねた練習はいかばかりだろう。
 
スランプやプレッシャーや怪我など、
計り知れない努力と苦悩のはてにつかんだオリンピックの出場権に違いない。
 
そんなことに思いを馳せながら、
クーラーを効かせたアトリエで、
テレビから流れる体操ニッポンの快挙のニュースをBGMに、
(もちろん柔道の金、ジョコビッチの初戦敗退の涙などのニュースもあった)
1日中、版画を彫っていた。
 
誰しもひとり黙々と目標に向かって、日々頑張っているんだ。
その血のにじむ努力の果てにつかんだ栄光なんだという、
美しい話に酔いながら、
「私も頑張ろう!」と独り言をつぶやいて・・・。

2016年8月7日日曜日

陶芸工房の納涼会

 

 
 
 
毎日暑いので、8月は家に籠もって、彫り月間と称して、版画を彫っている。
 
その間にも結婚する娘が引越したので手伝いに行ったり、
結婚式場にお供して、ドレスの試着を見学したりと、
我が家の一大事は着々と前に進んでいる。
 
しかし、毎日暑いことには変わりなく、
年ごとに暑さに弱くなっている自分が情けないし、
ここ数年、夏におこる足の冷えの症状がきつくなっており、
寄る年波を実感する今日この頃。
 
今日は陶芸工房の暑気払いの飲み会が行われた。
 
鶴見市場という駅の近くにある工房に、メンバーの3分の2ぐらいが、
ひとり1品持ち寄りなので、
手作りの料理やお酒などを持ち込んで集まった。
 
私は「小アジの南蛮漬け」と「水菜と新ショウガのサラダ」を作っていった。
 
最初に作品の講評会が行われ、
ひとり1作ずつ自信作を出して、自分自身の感想とともに
先生や他のメンバーからの意見や感想を聞く。
 
私は写真のお皿を出し、釉薬のかけ分けの説明と、
「お皿にあるポチッとしたおへそはなぜつけているか」の理由を述べた。
 
3種の釉薬をかけ分けている人はひとりもいないし、
おへそが器についている人もいないので、
先生から「釜から出したときに萩原さんの作品と一目でわかるという
個性が確立していることはいいよね」という感想をいただいた。
 
それは嬉しいひと言だったけど、
全体講評の中で、
「高台の削りみたいなベーシックなテクニックをおろそかにしないように」という注意は
自分も心しなければと密かに感じた。
 
陶芸を初めて4年半。
そろそろ面白いからと勢いだけで創っている時期を過ぎ、
器の基本ルールは守りつつ、自分を出すという課題に取り組まねばと
自戒した次第である。
 
さて、講評が終われば、あとはそれぞれの料理を器に盛り付け、
飲み会の始まり始まり。
 
お酒を目的に集まったおじさん達がめざとく「小アジの南蛮漬け」を見つけ、
先生作の大皿に盛った40匹はいるかと思われた小アジを
中皿に取り分け、自分達のテーブルに持っていった。
 
昨今、どこのおうちでも手のかかる料理は敬遠されるようで、
じっくり揚げてから2日がかりで味を染みこませた南蛮漬けは、
好評価をいただいて、売れ行き好調、完売した。
 
他のメンバーの手作りシュウマイや手羽元の煮込み、スパムのお寿司、
冬瓜の蟹あんかけ、まぐろの甘辛煮、サンドイッチ、ゴーヤチャンプルなど、
色とりどりの料理と、自分の畑で栽培したミニトマト、ししとう、
先生作のヨーグルトなど、
例年になく多くの食べ物が集結してにぎやかな食卓になった。
 
ビールにワインに日本酒にとお酒も飲み放題なので、
いつもは寡黙に土をこねているメンバーも、
今日ばかりは通っている曜日の垣根を越えて親交を深め、
陶芸の話、都知事選の話、オリンピックの話と積もる話は留まることを知らない。
 
器は料理を盛ってなんぼだと思うけど、
実際に人が創った器に料理がのっているところを見ることはない。
 
けれど、こうした会の時は持ち寄った料理を手作りの器に盛り付けることになる。
 
主には工房にある先生の創った器に盛ることになるのだけれど、
私の水菜のサラダは、つい1時間前に講評に出されていたメンバーのオーバル鉢を
借りて盛り付けることにした。
 
日曜日の顔だけ知っている男性メンバーから器を貸してもらうことで、
借りた私にも貸した彼にも、特別な交流が生まれる。
 
「同じ釜の飯を食う」に似た感情かもしれない。
 
同じ工房に通ってはいるものの、黙々とひとり自分の作品に向き合う面々が、
器と料理とお酒を通して、距離を縮める。
 
そんな穏やかで楽しい時間が流れていた。