2016年5月29日日曜日

美輪明宏の『毛皮のマリー』

 
 
 
寺山修司が美輪明宏のために書いたという『毛皮のマリー』を観てきた。
 
場所はKAAT神奈川芸術劇場。
写真のような赤と黒とで出来ている日本の劇場にしては
エキセントリックで情熱的な会場だ。
 
だいぶ前にやはり美輪明宏の『エディット・ピアフ』を観に
初めてここを訪れたときほどの衝撃はなかったが、
それでも久しぶりにきてみて、やっぱり凄いなと思う。
 
美輪明宏が監修したのではないかと思うほど、美輪明宏にぴったりだと思うが、
今回の『毛皮のマリー』も一種、新興宗教のような怪しい舞台なのでよく合っている。
 
さて、美輪明宏といえば、もはや男でも女でもなく、
むしろ物の怪のようであり、教祖様とあがめ奉る人も多いが、
何十年も前、まだ、戦争が終わってさして経っていない頃、
彼がデビューしたての頃の世間の扱いはそれはひどいものだったと聞いている。
 
今でこそ、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブのように、
おねぇ言葉で話す女装した人がテレビで市民権を得ているが、
当時の美輪明宏はきわもの以外の何ものでもなかったにちがいない。
 
その頃の美輪明宏(当時は丸山明宏)をよく知る著名人として
三島由紀夫と寺山修司は有名だ。
しかも、三島由紀夫は美輪明宏の恋人だったことも知られている。
 
寺山修司と美輪明宏が男女の仲だったかはさておき、
作家という目で観て、美輪明宏の置かれた危うくも怪しく、
そして何者にも屈しない生き様はとても魅力的だったのだろう。
 
そんな美輪への讃美と理解を形にして残したというような舞台だった。
 
しかし、実際には舞台のしょっ端から、
様式のバスタブに半裸で浸かる美輪明宏が登場し、
乳首も露わに見えているので、思わずオペラグラスでしげしげ見たが、
その胸はまさに80過ぎのおっさんの垂れた乳房で唖然とした。
 
(前から13列目中央の席はかなりよく見える位置だが、
それでも隣近所は自分もオペラグラスを持ってくればよかったと思っただろう)
 
そして、最後にマリア様のような白い衣装を着るシーンまで、2時間近く、
何度も衣装が変われども、美輪明宏の左の乳房は出たままだ。
 
彼は女装はしているが、乳房も他の部分もメスは入れていないので、
ゴージャスなワンショルダーのドレスからこぼれ落ちているのは、
何度もいうが、おじさんの乳房なのである。
 
たしかに肌は白くてきめ細かいが、
マツコ・デラックスが片方の乳房を出しているのと同じと思えば、わかりやすいかも。
 
そんなマリーが今は18才のユニセックスな魅力の男の子を
小さい頃から自分の子どもとして家に閉じ込め、
女の子に仕立て上げようと目論むが、
最後、それでは自分と同じになってしまうと気づく・・・。
 
まあ、かなり難解で不条理で、
ひとくちでいうと「まがまがしい」感じの舞台。
 
理解できたかというとかなり疑問だが、
間違いないのは、美輪明宏が死んでしまって何年かしたら、
「昔、美輪明宏というとても不思議で凄い人がいてね・・・」と
語り継ぐことになるだろう。
 
まあ、生きてあんな不思議なものを観られてよかったというところか。
 
大昔、私がまだ3歳位の頃、
大塚駅前の広場に見世物小屋がやってきて、
母親に連れられはいったことがある。
 
かすかな記憶しかないが、
「さあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。鬼が出るか蛇が出るか。
お楽しみだよ、見てらっしゃい」という口上はなんとなく耳に残っている。
 
小屋の中にはろくろっ首やいわゆるこびとのおじさんがいて、
キモノを着た白塗りのお姉さんが生の蛇をムシャムシャ食べていた。
すごく怖くて、見てはいけないものを見たという記憶がある。
 
たぶん、若き日の母親にしても、物見遊山の怖いもの見たさだったと思うし、
3歳児に見せていいはずがないとも思っただろう。
それでも、興味が勝ってしまい、娘を連れたまま覗いてしまったというあたりか。
 
『毛皮のマリー』もちょっとそんな感じ。
 
裸に近い男達が何度も登場するし、こびともいるし、
見世物小屋の住人のようなけばけばしい女達もたくさん出てくる。
 
卑猥な会話や隠微な想像をしてしまう場面もある。
 
そんなまがまがしい人生を寺山修司はどこかで羨ましく感じているように思えるし、
最終的には讃美している。
 
寺山修司自身も東北生まれでひどい訛りにコンプレックスを感じていたというが、
そんな風に普通じゃないこと、世間相場じゃないことに対しての反逆というか、
開き直りというか、応援歌なんだと思う。
 
きっと美輪明宏の太ったおっさんの乳房丸出しも
そうした潔い開き直りにちがいない。
 
美輪明宏にしかできない美輪ワールドをたっぷり見せつけられ、
お腹いっぱいというか、ゲップがでそうという気分になり、
急にのど越しのいいおそばが食べたくなった私は、
終演後、県民ホール裏手の有名なおそば屋さんで
「空豆と白魚のかき揚げと ざるそば」をひとりすすってから家路についたのである。
 
 


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