2016年5月21日土曜日

後半戦 終了

 
 
18日(水)から始めた最新作の本摺りである。
 
木版画の作品としては、畳3分の2ぐらいの大きな作品なので、
1枚の和紙では摺りきれず、
上下2枚に分割され、2点分の作品として版木もできている。
 
それを18日の夜から半徹夜して、19日の午前中に上半分仕上げ、
19日の午後に下半分用の和紙の湿しをして寝かせ、
夜から本摺りを開始し、20日の午前中に摺り上げることが出来た。
 
上半分に比べると下半分は和紙の大きさも少し小さいし、
摺りの難しいところも上半分に集中しているので、
継ぎ目の色やぼかしの具合に気をつけなければならないが、
比較的楽に摺りおおせることが出来た。
 
ただし、身体的には上半分ですでに半徹夜を含め、
十分体力と知力を使い果たしていたので、
体の疲労を気力でカバーしながら、
イージーミスをしないよう、老体にむち打った感は否めない。
 
ここ数年、
この巨大版画を摺る度に「もうこれが限界。今回でやめよう」と思うのだが、
やはり、この原画はあの大きさが必要と考える時、
身の程知らずの大きさでも作りたくなるのが、ものつくりの性かもしれない。

というわけで、今回も 
なんとか上下4枚ずつ、無事、摺り上げることが出来、
まだ、貼り合わせの作業はしていないが、カットして重ねてみたのが写真の作品だ。
 
昨年末の大切な友人の死に際し、
何か鎮魂の作品をと思って創ったもので
タイトルは「レクイエム」。
 
先日、総持寺での座禅の際に、突然降って湧くように友人の声がして
「私、今回はメキシコ人に生まれようと思っているの。今回は男性よ」と
転生の準備が整ったことを報された。
 
それを信じるも信じないも人それぞれだが、
私はとてもホッとした。
メキシコ人とは彼女らしいというか、意外なところをつかれちょっと笑えるなと思って、
その声を聴けたことが嬉しい。
 
作品自体は総持寺体験よりずっと前にプランされ、彫り続けてきたものだが、
「メキシコ人の男性ねぇ。どんな人生が始まるのかしら」と
本摺りの間にも何度となく彼女のことが思い出されたり、
次のメキシコ人としての人生に思いを馳せたりすることは、
鎮魂、つまり、彼女の死を悼むことになっているのではと思っている。
 
「大切な人が亡くなる」という経験は
今までにも何回か経験しているが、
母の時も、父の時も、その時々の思いや故人に対する気持ちを作品化してきた。
 
「亡くなった人を忘れない」ということが、
その人への一番の供養というか鎮魂だと思うので、
ものつくりの端くれとして、まずは作品に残すことが自分にできることかなと
考えている。
 
私の作品は自分の身に起こったことを題材にこれまでずっと創ってきた。
だから、我が身が妊娠したこと、出産したこと、
幼い我が子に託す思いなどがテーマになってきた。
 
そして、それらの作品を発表する度に
同じ想いを抱いている人の共感を得て、作品を買っていただいたりした。
 
作品は作品として生み出したその時から、
もはや個人の体験や気持ちから離れて独り立ちするのだ。
 
だから、この鎮魂の意味を込めた「レクイエム」も
誰か大切な人を亡くした方の心に何かを届けられたらという思いがある。
 
6月6日から、関内のセルテ画廊で始まる紫陽花展に出品予定なので、
興味のある方はぜひ観にいらしてほしい。
 
今朝、上下2枚の貼り合わせの作業のため、
摺り上がったばかりの作品は
額縁屋さんに向け、ヤマト便で手元を旅立っていった。
 
次は額縁に入った作品をいきなり画廊で見ることになる。
 
それが、我が手を離れた作品が、私個人の思いを離れ、
独り立ちする瞬間である。

再会のその日を作者の私自身も楽しみにしているところだ。
 


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