2015年9月1日火曜日

『大江戸りびんぐでっど』再燃

 
 
今日は東銀座まで出て、東劇で『大江戸りびんぐでっど』という映画を観てから、
友人の展覧会を3件廻って、帰って来た。
 
ここのところ『月イチ歌舞伎』と銘打って、
歌舞伎座で上演された演目を映画に仕立て直し、映画館で上映しているので、
欠かさず足を運んできた。
 
歌舞伎は本公演を観ようと思ったら、S席18000円だが、
映画なら2100円(1800円よりは高いが・・・)なので、ずっと敷居は低い。
なのに、映画館の客入りはまばらで残念に思っていたが、
今日の東劇はどうだ。
 
私はあらかじめチケットをネット予約していたので、ぎりぎりに着くと、
会場はほとんど満席かと思うほどのお客の入りでびっくり!
 
こりゃ、どうしたことかと眺め渡すと、いつもの月イチ歌舞伎の客層より
弱冠若い気がする。
 
たぶん、『大江戸りびんぐでっど』の作・演出が
宮藤官九郎なので、その官九郎効果なのではないかと推察する。
 
歌舞伎役者の勘九郎もでているにはでているが主役ではなく、
準主役というあたりなので、これは宮藤官九郎の方に間違いない。
 
『大江戸りびんぐでっど』は平成21年12月に歌舞伎座で上演されており、
内容は歌舞伎座がよく許したなと思うほどにハチャメチャな感じ。
 
江戸時代にくさや汁を浴びた死人がゾンビとして生き返り、街中で大暴れ・・・。
ゾンビ達はまるでお化け屋敷の幽霊のようないでたちと特殊メイクで、
舞台といわず花道といわず、あふれている。
 
市川染五郎・中村勘三郎・板東三津五郎・中村扇雀・中村獅童といった
名だたる大御所、人気者が、みな、ゾンビになって、
特殊メイクで踊っているんだから笑えるというか、呆れる。
 
人間なのは中村七之助のくさや売りの女房お葉と、中村福助の女郎喜瀬川、
中村勘九郎の大工の棟梁の3人だけ。
 
たぶん、「生ける屍」という言葉に端を発して、
「生ける屍」とは「生きている死人」
「生きている死人」って、それは「ゾンビ」か??
という流れを面白がった中村勘三郎と宮藤官九郎が意気投合し、
「それを何とか現代版の歌舞伎として上演しよう」ということで実現したのでは
あるまいか。
 
たぶん、ことの発端は勘三郎の「ねえ、生ける屍って変な言葉だよね」なんていう
酒の席のちょっとした会話にちがいないと思うのだ。

だから映画のタイトル『大江戸りびんぐでっど』のりびんぐでっどは『生ける屍』。
 
ブログに何度も書いたが、
この映画でも、もはや亡くなって何年も経ってしまった勘三郎や三津五郎が
とにかくおもしろ可笑しく演じていて、芸の幅の広さを存分に見せている。
 
私が贔屓の中村福助は女郎喜瀬川役で艶っぽくもユーモアたっぷりだし、
もうひとりの女郎お染の中村扇雀も、いつもの歌舞伎での役柄とは
まったく違うきわどいセリフのお女郎役をマシンガントークでこなしていて痛快だ。
 
性に対しておおらかだった江戸時代を彷彿とさせる女郎屋でのやりとりや、
現代人より命の扱いが軽くてぞんざいだったことが、
ドタバタのゾンビ騒ぎの中に盛り込まれていて、
小難しく考えながら生きていることがちょっと馬鹿らしくなってくる。
 
「3分に1度は笑える歌舞伎を」という勘三郎の思いが伝わって、
こういうのを正しくエンターテイメントというんだなと実感した。
 
会場を出て、銀座の真ん中辺まででてみると、
現在の銀座は工事中ばかり。
松坂屋の跡地が一番大きな工事現場だけど、
それ以外にもクレーンがいたり、ビルがカバーで覆われていたりする場所が
そこにもここにもある。
 
みんな、2020年のオリンピックに照準を合わせ、
大きく生まれ変わろうとしているのだろうか。
 
帰ってテレビをつけたら
「オリンピックのエンブレム、佐野研二郞氏の案は撤回の方向へ」という
ニュースが流れていた。
 
国立競技場といい、エンブレムといい、
何だかこのオリンピック、ケチばかりついて、大丈夫かニッポン?という気になる。
 
クリエーターは常に新しいものを生み出さなければならない。
そして、それは誰かの生み出したものに似ていては価値がない。
 
そんなことをクリエーターの端くれとしてチクチク感じながら、
歌舞伎役者として、夢半ばに逝った勘三郎と、
「夢かと思った」と語っていたのに、本当にエンブレムが夢幻になっちゃった
佐野研二郞氏のことを思った。
 
夢は見るのも大変だけど、
かなえるのはもっと大変なんだよなぁ・・・。


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