2015年7月10日金曜日

小さな陶器市


 
目下、私は10月はじめの陶芸教室展示会に向け、
最終の作陶作業が続いている。
 
今回の自分の展示テーマに添って、足りないものを鋭意制作中である。
 
しかし、実はこうして作っては使わずにたまった器はかなりの数にのぼる。
 
陶芸工房に通い出して、まだ、3年半。
その間に必ず作らなければいけない最初の3点を除いては
あとは自由作陶なので、それぞれ自分のペースで自分の好きなものを作ればいい
というのが、この工房のいいところである。
 
ゆっくりのんびりつくっている人もいれば、
10年以上の経歴があり、家中の器はもはや自作のものという人もいるだろう。
 
私の場合は経験年数は少ないものの
元が作ること大好き人間の版画家であるから、
作るスピードも数も勢い早くなるし、多くなる。
 
最近はその勢いは増してきており、
2年ぐらい前のような作っても乾燥の段階や素焼きの段階でヒビが入ることもなく、
概ね最後まで焼き上がるので、その分、数だけは増えていく一方だ。
 
ダンナはじわじわ増えている器に、時折、料理を盛り付け出す度に
「もしかして、これも新しい作品か?」という怪訝な顔つきでみている。
 
こちらはそれには気づかぬふりで、お浸しやら豆サラダやら盛っては
映りの良さに内心ほくそ笑んだりしている。
本当に和食器に盛られた料理は見た目にいい味を出してくれる。
 
しかし、ここへ来て、そろりそろりと持ち帰っては、
家中の戸棚に詰め込んできた器が
溢れかえってきて、
もうどこにも収納できないほど、どこの戸棚も拙作でいっぱいになってきた。
 
そこで、以前、足つきの小鉢とお皿をプレゼントした友人を家に呼んで、
破格値にて気に入ったものがあったら引き取ってもらうことにした。
 
最寄り駅でランチを済ませ、自宅までお連れしたところ、
リビングの大きなテーブルに並んだ器群を見るなり、
その数の多さにちょっとビックリした様子だった。
 
実際に私が家で使っているものや
今回の展示会に出そうと思っているものは並べていない。
手放してもいいと思っているものだけでここまであるとは
自分でも驚きだ。
 
その一切合切を持っていってくれてもいいとさえ思っていたけれど、
結局、大々的なリフォームをした彼女のおうちも
リフォーム時に思い切った断捨離を決行し、
ついでにものを入れる棚も少なくしたから
多くを持ち帰ってもしまうところがないという。
 
お互い、だんだん年齢と共に、
私も含め、ものを減らしてシンプルに暮らそうと考えているので、
「こうしてがらくたがどんどん増えるばかりの趣味はいかがなものか」と
彼女の物言わぬ目が語っているような気がする。
 
結局わかったことは、
陶芸を趣味にしている人は、器が欲しいというより、
器を創ること自体が好きだということ。
 
ましてや家族が独立して老人二人の生活では、料理も大して作らないので、
多くの食材も多くの器もいらないというのが現実なのである。
 
結局、友人は以前プレゼントした器の兄弟分みたいなレモン形の足つき小鉢を
大小の大きさで選び、
それらと釉薬の似ている大きめの皿を2枚購入してくれた。
 
それにオマケで小さな薬味皿みたいな小皿を2枚つけ、持ち帰ってもらった。
 
彼女の頭の中では
同じ作家の同じシリーズというラインナップで、
大小で並べて、いろいろちょこちょこ入れるイメージができているらしい。
 
夕方、
リビングテーブルの上に残った何十という器を眺めながら、
これを再び、家中の戸棚のどこかに突っ込み返すのも興ざめで、
この際、半分ぐらいは思い切って廃棄処分することにした。
 
けっこうな粘土代と月謝を払い、
肩こりになりながら土錬りをし、凄い集中力で作陶して疲労困憊でも、
大して使わないことにため息が出るが、

やっぱり夢中で土塊と戦い、
挙げ句、意外や面白いものが出来たり、がっかりしたり。
 
そんな私も無駄なものばかり生み出すどうしようもない趣味人だと
自覚を新たにした今日の自宅陶器市であったが、
好きなことは辞められない、
それが本日の結論である。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿