2015年6月18日木曜日

額縁取り付けサービス

ドアがぶつかりそうで
照明のスイッチがあり、
左の絵の下にもスイッチカバーが隠れている。
 
 
 
 
6月の初め、キモノで神楽坂散歩の会で初めてお目にかかった方が、
次の週の紫陽花展にひょっこり来てくださり、
思いもかけず、2点の作品をお買い上げくださった。
 
そんなことは長い年月、作品を発表してきたが初めての出来事かもしれない。
 
日本人の文化の中に「絵を購入して飾る」という考えはあまりないので、
親しい友人や長いおつきあいの末にお求めいただくことはあっても、
なかなか見て気に入ったからパッと買うというわけにはいかないことが多い。
(パッと買うにはいいお値段だしね・・・)
 
それでもギャラリーの顧客や通りがかりのお客さんが
案内状やウインドー越しに作品を見て、求めてくださることもまれにある。
 
今回はそれともちょっと違う流れだった。
 
「神楽坂散歩」の日は最寄り駅からキモノ姿でご一緒だったにも関わらず、
最後にお茶をするまでひと言もお話しすることがなかった方なので、
まさか展覧会にお越しくださるとはまったく思っていなかった。
 
もっと言えば、その日一日、何となく相手から牽制されているのを感じていたので、
親しくなれそうにもないとさえ思っていた。
 
型どおり、「来週、こんな展覧会がありますので、もしよろしければ・・・」と
案内状をお渡ししただけだったのだが・・・。
 
なのに、その方は展覧会にさっと来て、さっと見て、さっと決めてお帰りになったので、
「お茶の先生でちょっと難しい方かも」という最初の印象とは違って、
きっとサバサバとしたさっぱりした方なんだろう。
 
ご自宅は最寄り駅からさほど遠くないことも分かり、
「2階のリビングにするか1階の食堂にするか、迷っているの」ということなので、
額縁用金具を持って、車でお宅に伺うことにした。
 
迷うことなく到着したお宅は、1階にお茶室があり、
玄関先にいてさえ青畳の香りが漂ってきた。
 
お茶室の奥の食堂にまず入り、壁を見せてもらったが、
キッチンとは独立なので温度差による悪影響は避けられそうだが
絵を掛けるにはちょっと暗い。
 
一方、2階のリビングは明るい光が差し込んで、
1階の和の空間とは全然ちがう、洋食器が飾られたセンスのいい洋室だった。
 
そこのすでに花の絵が飾られているその絵をはずした空間に飾りたいとのことだ。
 
見ると壁の真ん中あたりに電気のスイッチと
電話線をひいたのに使わなかったからとプラスティックカバーをしたところがある。
 
個展の後に取り付けに伺った友人のうちも
クーラーの室内機とコンセントが部屋の真ん中にあり、
額縁をかける妨げになっていたことを思い出した。
 
なぜか室内の電気工事業者は使い勝手は考えても
なるべく目立たなく美しくといった配慮に欠ける。
 
「今回もドアが開いたときに隠れないようにしたい」のと、
「スイッチは隠すわけにいかないけど、電話線カバーは逆に隠したい」など、
壁の周辺環境に問題があって、
ギャラリーのように自由に展示するわけにはいかない。
 
それでもそうした条件をすべてクリアして無事取り付けが完了すると、
1階のお茶室でお抹茶を点ててくださるという。
 
裏千家のお茶の先生のお宅に伺うことは、表千家の私にとって初めてのことだ。
 
鮎の形をしたゆずあんの最中とお干菓子を頂き、
2服もお抹茶を点てていただいた。
 
お茶の話になると、急に話が弾んで、
先生のお母様の代のことや裏千家のいろいろなことを話してくださった。
 
そうこうするうちに8月に予定されている夜のお茶会は風情があっていいから
「もし、よろしかったらご一緒に」とお誘いを受けた。
 
大門にあるお寺さんで行われる小規模なお茶会で
先生のお気に入りの会だとか。
一席10名限定の小さなお席のメンバーに混ぜてくださるらしい。
 
何百人も来る大きなお茶会ならいざ知らず、
そんな会に誘っていただき、何だか一挙に先生との距離が縮まり、
逆に世間が広がるのを感じる。
 
今、篠田桃紅の「103歳になってわかったこと」を読んでいるのだが、
その中から受け取る自然体の生き方や
ものの受け取り方や受け流し方に通じる出逢いかもしれない、
そんな風に感じた今日の出来事である。
 
「一期一会」
出逢いと別れを大切に。
今日を生きる。
 
 
 

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