2015年12月29日火曜日

迎春準備第1弾

 
 
 
 
 
今年の年末はお風呂のリフォーム事件で忙しかったが、
窓はまだ二重窓になっていないものの、どうにか形には収まった。
 
27日の日曜日は、今年最後のスポーツクラブにも行き、
シバムというダンス系クラスを1本と、
ボディコンバットというボクシングとムエタイを合わせたボクササイズを1本取り、
お正月の食べ過ぎに備えて、絞り込んできた。
 
「食べなきゃいいじゃん」という声が聞こえてきそうだが、
正月は料理好きの私が腕をふるえる数少ないチャンスなので、
きっと今年も腕に寄りをかけてしまうと思うので、
食べずにやり過ごすのは難しいだろう。
 
早速、28日の月曜日はお正月アイテムの大買出しに出掛けた。
 
おせち料理と元旦の親族会のためのパーティ料理のメニューにそって、
必要な50品目ほどの買い物リストを手に、
魚専門店、スーパー3箇所、デパート、花屋2箇所を駆け巡った。
 
そして、まずは28日にしなければならない門松を立て、
正月用の花を活けた。
 
門松は29日になってしまうと九飾りと呼ばれ、縁起が悪いとされるから、
何としても28日にしなければならない。
お正月はとりわけ縁起担ぎのものが多いから、注意が必要だ。
 
リビングや玄関に飾る花は1日でも遅い方が花の持ちがいいのだが、
聞けば入荷は28日の月曜日が最後だと言うので、
それなら28日に活きのよさそうなものを買って、活けてしまった方がいい。
 
今回のリビング用は、大王松と百合だけというかなり大胆な花材をチョイス。
まだ、1~2輪しか咲いていないが、
元旦には大ぶりの花がいくつも開花して、
ドドーンとした迫力のあるお花になる予定。
 
玄関の方は自作の陶器人形にチューリップを飾ってみた。
自宅の庭に蔦とジャスミンが1年中あるので、
緑を加えることが出来、とっても便利。
かさ増し効果大なので、オススメである。

ただ、ケチってチューリップを4本しか買ってこなかったら、
ちょっとバランスが・・・。
4本は縁起が悪いと思われるかもという心配もあり、
明日、もう1本追加しようかな。
 
さて、料理の方は、毎年同じルーティンなのだが、
初めにするのは『松前漬け』のするめと昆布を切って、
お酒と醤油の付け汁に漬け込むこと。
 
今年はバンコクにいるダンナが、お正月に日本には帰ってこないという。
食べ手の主力メンバーを欠いているので、すべてをやや少なめに作ることにした。
 
次にするのは、存外時間がかかる数の子の塩抜き。
 
そして、28日の夜から、モチ米を水に浸して、
今日の午前中は『餅つき』
 
もちろん杵や臼を出してくるわけではないが、
お餅は30年ぐらい、たとえ、海外に住んでいた時でも
餅つき機持ち込みで、自分でついていた。
 
餅つき機が数年前、年末に炎上し、
急遽、ヨドバシに駆け込んで買い換えたことがあったが、
今の2代目餅つき機も、パン焼き機能は全く使わなくなってしまったが、
餅つきだけは外せない年の瀬のルーティンなのである。
 
こちらも1升餅をつくなんてことは辞めて、
可愛くモチ米1㌔だけ、計21個の丸餅が出来た。
 
今朝は同時に隣でコトコト小豆を煮て、
ぜんざいを作った。
 
一昨日、テレビで土井先生が我が家秘伝の小豆の炊き方というのをやっていた。
水の差し方と砂糖の味の入れ方にコツがあるというので、
今回は真似して作ってみた。
 
つきたてのお餅をいれて、さきほど『ぜんざい』を食べてみた。
 
品よく上手に出来たのではないだろうか。
お餅も今年は水の加減がうまくいき、腰が強く、よく伸びる。
 
『あ~、日本人に生まれてよかったぁ!』 その1
 
たぶん、三が日が終わるまでに、何回か同じセリフをつぶやくだろう。
 
年の瀬に『はぁ?ふざけるな!』と何度も毒を吐いてしまったので、
美味しい日本のおせちをいただいたり、日本文化に触れ、
毒消しをしながら、新しい年を迎えられたらと思う。
 
明日からは娘達が次々帰って来る。
日本の伝統料理やしきたりなどを伝授しながら、
しみじみと年末年始を味わうつもりだ。
 


2015年12月26日土曜日

お風呂リフォームの顛末

 
 
 
2015年12月26日(土曜日)
あと今年も残すところ6日
 
そんなどん詰まりの年末、
朝8時15分には取り付けのための業者さんがやってきて、
新しいお風呂の取り壊しと、新しいお風呂の設置作業が始まった。
 
新しいお風呂の取り壊しじゃなく、古いお風呂じゃないのとお思いだろう。
 
しかし、壊したのは20日の日曜日に設置されたばかりの新しいお風呂一式。
 
何と、「ドアの位置を間違えて発注しちゃいました」事件に引き続き、
今度はTOTO側が何を血迷ったか、
「湯船の位置を前後間違え」、
「他の面より高い化粧板を正面につけて欲しいと要望したはずが、
手前の面(中に入らないと見えない位置)に配置する」という
信じがたいミスを犯したのである。
 
お陰で、あわや今後もお風呂無しの生活が続くのかと案じられたが、
そこは何とか
20日にはそのおかしな配置のままお風呂を組み立て、
注文間違えのドアはリフォーム会社の展示品を取り外して、とりあえず取り付け、
次の日の月曜日には脱衣所の壁の補修工事と新しい給湯器の設置工事、
更に火曜日には壁紙の内装工事が行われたことで、
ようやく新しいお風呂には入れるようになった。
 
もちろんTOTOの担当者は月曜日には血相を変え、
菓子折を携えて、挨拶に来た。
 
なぜ、この年末に2度も続けてこのようなミスが起きたのか、
理由は分からず仕舞いだが、
「とにかく娘達は30日には実家に帰ってくるし、1日には親族が集合するから
何が何でも26日か27日までには新しい注文通りのお風呂にしてもらわねば」と
私は強く迫った。
 
月曜日にそう言い渡され、その週末に注文で作るお風呂を間に合わせることは
相当大変だったらしいが、
全国のTOTOに問合せ、注文どおりの部材をかき集め、
更に1日で解体と施工の両方ができる腕利きの職人を手配することで、
何とか本日26日(土曜日)に工事が行われることになった。
 
朝イチで、無口で無愛想な職人さんが、若い助手を連れやってきて、
現場に入ると、
手早く養生シートが張り巡らされ、早速、作業開始。
 
先ず、真新しいお風呂の壁が取り外され、1週間の命でそれはゴミになってしまった。
前後間違えて配置されたバスタブも新しいものに変えられたが、
5回だけ使ったあれはどうするのだろう。
まさか、ゴミにするわけではないだろうが、
バスタブも、お湯の水洗も、風呂のフタも、みんな新しいものに交換された。
 
そして、夕方5時。
私が注文したとおりのデザインで、新しいお風呂場が完成した。
 
まだ、入ったわけではないが、
きっとこの長かった戦いに疲れた体を、今日のお風呂は癒してくれるだろう。
 
実は窓は古い既存のままで、
新しい二重窓は年内に間に合わなかった。
だから、すきま風が冷たいかもしれない。
 
しかし、10月半ば過ぎから始まったこの「ふざけるな!事件」も
なんとか解決の時が見えてきた。
 
あとは遅延とかけた迷惑に対する金銭的な交渉という一大事が残っているが、
そのことは十分考えさせてもらうと言って店長は帰っていった。
 
それが年越し案件になってしまって、ちょっと気持ち悪いが、
これで何とか新しいお風呂場で娘達を驚かせることは出来そうだ。
 
さっき、ひとり暮らしの長女からLINEがあって
「お風呂のイス替えようと思うんだけど、31日、ニトリやってるかな?」と
言って来た。
 
「あら奇遇ね。我が家もお風呂のイス替えたところよ」と返事しておいた。
 
年末、イスどころか全とっかえのお風呂場を見て驚く長女の顔が楽しみだ。
 
さてさて、明日からは正月準備に気持ちを切り替えよう!
♪ もういくつ寝るとお正月~ ♪
もう6つ寝ると正月よ~、 早っ!!


『能力』ののびしろ

夕べ、「団塊スタイル」という中高年向けの番組を観ていたら
脳は使い方によって、記憶力も集中力も全然違ってくるし、
年齢を重ねてからの人生の活力そのものにも関わってくるという話だった。
 
最近は書店にいくと、老人の『老活』
いわゆる老いて尚、元気に暮らす術や、実践している人の生活術に関する本が
コーナーを設けられて並ぶほど、たくさん出版されている。
 
なかでも
篠田桃紅さん(103歳)のエッセイは凛として潔いせいか、ベストセラーだし、
吉沢京子さん(91歳)の生活の知恵、気持ちの持ちようなども共感を呼んでいる。
 
また、『104歳、街道を行く』の朝日新聞のコラムに活動の様子が詳しい
医師の日野原重明さんは日本を代表する元気な長老の代表だろう。
彼も常々、新しいことを始めること、何でも興味をもつことを提唱している。
 
番組ではその吉沢京子さんの日常にカメラをむけ、
「明治生まれの頑固一徹な夫が亡くなって以降の30数年は、
夫がくれたプレゼントだと思って、毎日、精力的にやりたいことをやって
好きに暮らしているの」と快活に笑う姿をとらえていた。
 
要は脳を活性化し、老いて尚成長させるのは
「新しい情報をいかに脳に入れるか」
ということにつきるらしい。
 
50代の管理職の男性の脳を例に採り、
ルーティーンで仕事がこなせるようになってしまうと脳はどんどん退化する
ということを、脳の断層写真を使って説明。
 
常に新しい何かを始める、
好奇心と行動力こそが、『能活』に一番必要らしい。
 
それを
国は「ライフスタイルチェンジ」とか呼んで、
認知症予防のスローガンにしようとしているみたいだが、
認知症になるかならないかは置いておいても、
やはりある程度の年齢になってきて、人生がマンネリ化してきたら、
これは必要なことだと思う。
 
ちょうど、個人的には10月20日、ダンナがタイのバンコクに赴任したのを機に
「新しいことをするぞ!」と宣言し、ブログにも書いたのだが、
あれは大正解だったということになる。
 
あれから2ヶ月、
まず入会したスポーツクラブには週1ペースで通っており、
行けば2本のクラスを取ると自分に課している。
 
1本は「ボディバランス」というインナーマッスルを鍛えるヨガや太極拳を
ベースにしたクラスか、
「ボディコンバット」というボクシングの動きをベースにしたエクササイズ。
 
もう1本は「シバム」もしくは「ズンバ」という激しい踊り系。
 
計2時間、クラスに出て、他に小1時間マシーンエクササイズを行うと
帰りは歩いて12分ぐらいの距離をタクシーで帰ろうかと思うほど疲れる。
 
しかし、それは今考えると、体が疲れているだけじゃなく、
インストラクターがするのと同じ動きが、すべて初めての動きなのに
ついていかなければと思って必死になった脳の疲れだとわかる。
 
2ヶ月経ち、いくつかのクラスを渡り歩き、好きなクラス内容、好きな先生が
決まってくると、その疲れも少し軽減してきた気がする。
 
体が激しい動きに慣れてきただけでなく、
新しいことに対応するための脳のめまぐるしさが少し収まったからだろう。
 
他にも、10月から始めたタンゴダンスも10回の講座の内、8回を終え、
最初の「まさかこんなに誰かと組んで踊るクラスだったとは」という驚きも落ち着き、
メンバーのおじさま達とも少しなじんできた。

きっと、
タンゴクラスも始めた当初の『能力』ののびは相当なものであったに違いない。
 
今でもステップは難しいし、覚えられないし、
相手の気を感じることはもっとも難しいので、
受講している時はきっと私の脳の活性化はかなりのものだろう。
 
他にも
10月末、鬼の居ぬ間にお風呂のリフォームをしようと思い立ち、
TOTOのショールームにいって、2業者に相見積もりを取り、
工事が始まったと思ったら、思わぬ事件が次々勃発して、
今日の今日までまだ完成していないから、
延々と男性の業者相手に交渉ごとが続いている。
 
これも『脳力』ののびしろに貢献しているかと言えば、言えるだろう。
 
また、12月に入って、新規の心理カウンセリングの予約がいくつか入り、
しかもかなり重たいお悩みを抱えているクライアントさん達とセッションしていると、
認知行動療法だけでは追いつかず、
以前、勉強した「共依存」や「アダルトチルドレン」「対人関係療法」などの本を
読み返して、勉強しなければならないことが増えた。
 
資格を取るために必要だった多くの文献は、
今、現場のクライアントさんの重たい悩みを前にして、
よりリアリティをもって語りかけてくる。
 
どの方も新たな年を迎えても、まだまだ簡単には解決しない
「生き方」そのものの問題に直面していて、
私をカウンセラーとして頼ってくれているので、
もっともっと勉強が必要だと感じている。
 
ということで、
ひとり暮らしの安気さは、呑気なルーティーン生活に陥りそうなものだが、
お陰様でダンナがいてはちょっと気が引ける上に、
ご飯を用意して出なければならない夜のお出かけも気兼ねなくできるので、
タンゴクラスもカウンセリングも、コンサートも歌舞伎も
お構いなく夜の時間帯に突っ込んでいる。

というわけで、
1日の活動時間帯の拡張と共に
『脳力』も伸びているのを感じる今日このごろである。

プチプチ、ブ~ン(成長する音)
 


2015年12月23日水曜日

歳暮の茶会

 

 
 
 
 
 
暮れも押し詰まった12月23日、
芝の増上寺のほど近くにある浄運院というお寺の書院で
『歳暮の茶会』というお茶会が開かれた。
 
夏にも一度伺ったことがある場所で、
そこのお茶室でお稽古をなさっている表千家の先生が、
季節の趣向をこらした小さなお茶会を開いていらっしゃるのだ。
 
知人の紹介でお邪魔することにしたのだが、
本日の参加は14名。
 
2~3ヶ月に1度、こうしたお茶会を催されている内の
今日は今年最後のお茶会ということだ。
 
東京・芝の増上寺のすぐ側というロケーションからは全く想像できない
静かな境内に、古い日本家屋がひっそりとあり、
街のクリスマスの賑わいとはおよそかけ離れた和装の女性達が
静かに集まって、
薄暗い書院でおしのぎとよばれるお膳立てのお食事をいただいた後、
四畳半の茶室に移って、お茶を一服頂戴する。
 
そんな年の瀬の空気とはまったく違う、異次元に迷い込んだような
不思議な空間と時間が流れている。
 
それでも外はクリスマスということもあって、
クリスマスカラーの赤と緑を意識した道具だったり、
花入れの花の一部をリース型にして、万両を添えたり、
干菓子にクリスマスのオーナメントを思わせる飴細工や落雁を使ったりと
亭主の気遣いと遊び心を感じるしつらえがそこここにある。
 
もちろん、おしのぎに使われた季節感のある食材にも心配りが感じられたし、
主菓子の蒸したゆず饅頭は
くりぬいたゆず皮の中におまんじゅうを詰め込んで蒸し上げたもので、
ゆずの香りがあんこに移って、とても美味しかったし、時期らしさも味わえた。
 
きっと準備はとても大変だと思うのだが、
「来てくださる方に喜んでいただきたい」という亭主のおもてなしの心が勝って
いろいろ工夫して、お茶会を楽しんでいらっしゃることが伝わってくる。
 
昨日観たテレビの料理番組でも、
「20分で晩ご飯」というタイトルで、
観客の前でバタバタ大変な騒ぎで5品ぐらいパーティ料理を作り終えた
料理家の女性が、最後にひと言、
「人をお招きしてお料理作るって大変だと思いますけど、
やっぱり誰かが手作りでこうやって作れば楽しいし、思い出になると思うので、
頑張ってご自分が作る人になってください」と言っていた。
 
招く側の人は本当に大変だし、めんどくさいを思うけど、
それを大変でめんどくさいと思わないで楽しむ、
それが大切よねとしみじみ思った。
 
「お正月はおせちとか作るの?」と人に聞くと
大抵の人は
「ううん、何にも。お刺身買って食べるぐらい。おせちってあんまり食べないかも」
そう答える。
 
何だかとっても寂しい。
 
今日はここにもひとり季節を大切にして、めんどくさくてもおもてなしをと
考えている人がいると嬉しくなった。
 
私は「やっぱりそうよね、日本人ですもの」と誰に言うでもなく独りごちて、
年末に向け、例年通り、おせち作りにいそしもうと考えている。

2015年12月20日日曜日

風呂のリフォーム「ふざけるな!(怒)」続編

 
12月8日から始まったお風呂のリフォーム工事は11日には出来上がる予定だったが
8日に古いお風呂を壊した後、
新しいお風呂のドアの位置が注文と違っていたとかで、
急遽、作り直すことになり、工事が中断した。
 
この暮れの忙しい時に、
メーカーの作り直しは1週間から10日ぐらいかかるかもしれないというので
「12月18日(金)から20日(日)の週末は体を空けたから、そこでお願いね」と
念を押し、家は工事現場の様相のまま、月日は流れた。
 
しかし、18日(金)の朝まで待ったが、担当の人から何の連絡もないので
遂に業を煮やし、こちらから進捗状況を尋ねると
何と「工事は23日に決まりました」という。
 
『はぁ?ふざけるな!』 その4
 
そんな話は聴いてない。
今週末にはやって欲しいと申し渡してある。
23日はかねてより予定が入っていて、いきなりその日といわれても無理。
しかも、ドアはもう出来ていて、大工さんの手配が出来なかったとは何ごと?
 
手前勝手な予定の入れ方と連絡不十分、
こちらの意向を無視した態度に、
さしもの私も、遂に怒りが沸点に達した。
 
「こいつに言っていても埒があかない。責任者、出てこい!」
 
今までの経緯を事細かくしたためたレポートを握りしめ、
リフォーム会社に乗り込んだが、あいにく店長は不在だったため、
夕方、自宅まで来るよう、命じた。
 
ここまでに娘や友人知人に
「酷すぎる。もっと怒った方がいいんじゃない」と言われていたのだが、
遂に堪忍袋の緒が切れた形だ。
 
夕方、血相を変えた店長がやってきて、平謝りの体だったが、
店長はものの分かる人で、
ご無理ごもっともとさっそく大工さんを必死に手配してくれ、
20日(日)には新しいお風呂をセットしてもらえることになった。
 
とはいえ、その後に壁の修復工事や内装工事、
窓の付け替え工事など、まだ、何日もかかりそうだが
何とかしてクリスマスまでには終わらせますと約束して帰っていった。
 
しかし、物語はそれで終わらなかった。
 
20日(日)、朝から取り付け工事が始まったが、昼前、突然一時中止。
またまた、店長が血相を変えて駆けつけてきた。
 
聞けば、
「ドアの寸法を70㎝と80㎝で間違えて発注していたみたいで、
今日中にショールームにあるドアを引っぱがして持ってきて、とりあえず取り付け、
何とかお風呂にだけは入れるようにしますので、お許し下さい」という。
 
『はぁ?ふざけるな!!』 その5
 
「一体いつまでこの工事はかかるんですか?
給湯器はいつ新しいものと交換していただけるんですか?
窓の採寸と新しい二重窓の設置はいつですか?」
 
「それが給湯器の発注がまだだったようで・・・。」
 
『はぁ?ふざけるな!!!』 その6
 
「窓だけはもしかしたら年内は難しいかもしれません。」
 
『はぁ?ふざけるな!!!!』 その7
 
もはや怒りを通り越して、この業者に決めた自分を呪うしかない。
「ここまで来ると笑うしかない」と言いたいが、
残念ながら、今日の私にその余裕はない。
 
完全に賠償問題に発展したこの年の瀬のリフォーム工事、
事の顛末はまたご報告させていただく。
 
乞うご期待!

2015年12月18日金曜日

ビール工場で忘年会

 
 

 
昨日、今年最後の絵画教室があり、納会として、
キリンのビール工場へ行った。
 
絵画教室は生麦にあり、
近くにあるキリンビバレッジ生麦工場にいつか行ってみたいと思っていたので、
今回、その工場見学とビール試飲、レストランでの食事をして
1年を締めくくることになった。
 
目下、生麦周辺は港北ニュータウンからの高速道路の高架工事が
大がかりに行われているので、
工事現場に隠れて工場は一見しては見ることが出来ないのだが、
側まで行くと、煉瓦作りの建物や林立するビールの巨大貯蔵施設の様子は圧巻で、
ビックリした。
 
冬場の工場見学希望者は少なく、我々の他には2組しかいなかったが、
若い女性の案内役にナビゲートされ、
「キリン一番搾り」の製造工程を観て廻った。
 
最初に泡がぶくぶく立ちのぼり、プルトップ缶の蓋を開ける音を
効果音として使った壁のオーナメントを抜け、
次のブースに入ると麦汁の香ばしい香りが立ちこめているなど、
見学者の五感を上手に刺激して、コースは進んで行く。
 
途中、麦芽やホップを実際に触ったり、
麦芽を食べさせたり、1番絞りと2番絞りの麦汁を飲み比べたりと、
視覚はもとより、嗅覚と味覚にも訴え、
早く試飲コーナーにたどり着きたいと思わせるあたりはさすが。
 
キリン一番搾りは2番絞りは取らず、1番絞りだけでビールを作っているという
こだわりを知り、
更に工場では絞りたてを樽から提供していると説明があった。
 
無料の見学コースなのに、グラス3杯も自由に試飲できるとあって、
みんなどれにしようと急に色めきだつ。
 
結局、「横浜しぼり」というご当地期間限定ビールをまず試し、
次に贈答用などに使われる「キリンプレミアム」を2杯目に飲むことにした。
 
空きっ腹にその2杯を流し込むと、早くも酔い心地で、いい気分。
チーズ味のオリジナル柿ピーもビールとベストマッチ。
 
3杯目はビールとキリンレモンとで割って作ったカクテルと
樽の「一番搾り」をついでもらい、生徒さん達と飲み比べることにした。
 
さすがに樽の「一番搾り」は缶ビールより美味しく感じたし、
「横浜しぼり」はさわやかなのにコクがあり、
「キリンプレミアム」はフルーティで干し杏のような香りがした。
 
その後、レストランでランチをしながら、
午前中に仕上げたカレンダーの講評会を行い、
何だかあっという間に過ぎてしまった1年を振り返りつつ、
来年の絵画教室のテーマをどうするかなど話し合って散会した。
 
ここのところ、年末だからか、新規の心理ウンセリングのクライアントさんが増え、
夜は2名もセッションが入っていた。
 
酔っ払いのカウンセラーというわけにもいかないので、
夕方、カフェでコーヒーを飲みながら、ほとぼりを冷まし、
夜9時まで悩み多き乙女達の涙ながらの話を聴いていた。
 
今年もいろいろなことがあったと思い起こしながら、
結局はひとつひとつ丁寧に向き合って生きていくしかないと思う。
 
この年の瀬、
まずは長引いているお風呂のリフォームを終わらせること、
それがなければ、大掃除もクリスマスも正月もこないから。

「もっと怒った方がいいですよ」という周囲の声に発憤して、
今日は怒れる施主になろうと決心し、
「責任者出てこい!」と渇を入れ、
これから支店長を自宅に呼びつけ面談をするところ。

さて・・・。

2015年12月16日水曜日

年の瀬の訃報

 
今日12月15日の夕方、ポストの中に1枚のハガキを見つけた。
 
喪の時に使用する官製ハガキに素っ気なく文字が印刷されている。
「妻 K子は十二月十日永眠致しました」とある。
 
まだ、5日前の出来事が葬儀も滞りなく済ませたという文面と共に
報告されていた。
 
私は先週、彼女はどうしているだろうと案じながらも
150枚の年賀状の1枚として、
彼女宛の年賀状をしたため、今朝、投函してしまった。
 
元日に主のいないマンションにその年賀状は届くだろう。
「体調はいかがですか。お目もじ叶う日を心待ちにしております」という
挨拶文と共に。
 
K子さんは17年ほど前に健康診断で肺に癌が見つかり、
片方の肺の2分の1を切除する手術を受けた。
 
その後、定期検診は受けていたのだろうが何ごともなく月日は流れ、
完治したといってもいいほど、普通の毎日を送っていた。
 
しかし、2年半前、脳に転移が認められ、新たな部位に肺の癌もみつかった。
再発である。
 
即、脳腫瘍を取り除く手術及び放射線治療と、
肺癌のための抗がん剤治療が行われ、
何の自覚症状もなかった友人は、一気に病人にさせられてしまった。
 
それからの2年半は腫瘍マーカーの数値がよくなって喜んだり、
しばらくして悪くなったりの繰り返しで
その度に抜けた髪のためにウィッグを作って、自分を奮い立たせ、
一方でいろいろ整理ものをしたりして、家族に迷惑がかからないようにしていた。
 
とにかく自立した女性だったので、
弱音を吐くことはなく、どこか達観しているというか、諦観しているというか、
それでも、3種類の抗がん剤治療と
2度のガンマナイフ治療は相当辛かっただろう。
 
今年の11月には「一か八かの外科手術を受けることにした」というメールを
もらったので、最後まで戦い抜いたことは間違いない。
 
まだ、ランチを一緒にできた今年の7月15日には
鎌倉の松原庵の蕎麦懐石をあらかた食べることが出来、
いろいろおしゃべりして過ごした。
(この日が会った最後の日になってしまった)
 
けれど、
「自分の人生が67歳でこんな風になるとは思っていなかったわ」という言葉に
私は何も返す言葉が見つからなかった。
 
また、
転移が見つかってからの2年半に、いろいろなこと
例えば翻訳の仕事、車の運転、遠くに出歩くことなど、
徐々に徐々に取り上げられ、
「生きがいが何もなくなってしまった」と嘆かれた時も、
私は共感するだけで、気の利いた言葉は何もかけることが出来なかった。
 
持っていたキモノや帯の中から、生前整理と称して私がいくつかいただいた時、
その男前な気っぷの良さと、
死にゆく自覚と、そのためになすべきことを決然と執り行う姿勢には
本当に感心した。
 
「最後は誰にも知らせず、誰にも会わずに、きっと間が抜けた頃に
死亡したお知らせが届くと思うわよ」というので、
「そんなこといわずにすぐ駆けつけるから教えてよ」といったものの、
彼女は自分で決めたとおり、家族だけが見守る中で旅立っていった。
 
それにしても亡くなった次の日には葬儀が行われ、
5日後にはお知らせが届くなんて、
何とも手っ取り早すぎて、悲しい。
 
2015年の年内に決着をつけるように旅立ったのは、
まるで彼女の意思のようにも感じられるが、
私達の年賀状の投函までに間に合せるためか、
異国に住むご家族の帰国のための事情か分からないが、
取り急いで事後処理がなされたような気がしてならない。
 
でも、その無機的なお知らせを側に置いて、
私は彼女との20年間の出来事を懐かしく思い出しながら、
これから少し祈りの日々を送ろうと思う。
 
K子さん、今までありがとうございました。
K子さん、どうぞ安らかに。
 


2015年12月14日月曜日

折れない女 本摺り決行

 
 
 
 
お風呂場のリフォームが思わぬ事態で頓挫し、家が工事現場を化している今、
本当は気分は凹んでいるし、家の中がホコリっぽく雑然として
集中力の必要なことをするのに適しているとは言い難い。
 
友人や娘も、事情を聞いて一様に
「ひどい!」「何それ、風呂場代払ってもらえば?」
そう、驚きと怒りを露わにしてくれている。
 
しかし、私は立てた計画が予定通りに進まないことは許せない性格なので、
ここで、お風呂のリフォーム頓挫事件に巻き込まれて、
自分の他の作業が滞るのは何としても避けたいところだ。
 
年賀状150枚の本摺りと1枚ずつコメントを入れながらの宛名書きは
何とか終わらせ、切手も貼り終え、後は投函するばかり。
 
そして、もうひとつ、新作版画の本摺りを年内に終えたいという計画も
週末に予定通り、決行したいと考えた。
 
折しも大ファンの羽生結弦が世界新を更新し、神がかった演技を見せてくれた。
NHK杯の後に、彼が自分にかけたプレッシャーを思えば、
工事現場と化した我が家で、本摺りをすることなんざ、どうということもない。
 
そう思って、金曜日には予定通り和紙を湿し、絵の具を調合した。
 
その夜遅くには、和紙の湿しもいい具合になったので、作業を開始。
立ち上がりの何色か分を摺ってから、床についた。
 
最近は1日12時間摺りみたいな無茶をするのではなく、
夜更けに少し摺って一度休み、起きてから続きの作業をしたり、
2日に分けて作業したりと、
体や脳みその限界を超えないよう、慎重に丁寧に進める知恵を身につけた。
 
土曜日の日中、8時間ほど作業をしたのに、まだ、最後の1色が残ってしまったが、
無理をして、雑な仕事になるよりは、次の日に回そうと自分に言い聞かせ、
日曜日に最後の背景の黒を摺って、すべての摺り工程を終えた。
 
1日でやり終えるには6枚が限界だったが、
丸2日は摺りにあてられると考え、7枚和紙を湿して、大正解。
 
無事、7枚は何の失敗もなく、摺り終えることが出来た。
 
羽生結弦が満点のジャッジを連発したのと時を同じくして、
自分も納得の摺りができたと自画自賛だ。
 
滑りと摺り、ちょっと音が似ている。
 
彼には陰陽師が舞い降りて、乗り移っているとしか思えないが、
私にも週末、美の女神ミューズが降臨して、応援していてくれたのかもしれない。
 
自分を信じる強い心、
それがどんな時も一番大切と思った週末である。

2015年12月13日日曜日

師走のそりゃないだろ事件


 
我が家のお風呂の給湯器は製造から14年目を過ぎ、
いつ壊れてもおかしくない年数になった。
 
風呂給湯器が冬場に突然壊れた話を親戚や友人から聞かされていたので、
そうなる前に25年もののお風呂場もろとも全面リフォームをすることにした。
 
10月半ば、TOTOのショールームにいって、欲しいお風呂場のレイアウトを決め、
業者2社に相見積もりをとって、安い方の業者に決定し、
年内には工事を終わらせ、お正月に里帰りする娘達を驚かせようと算段した。
 
工事は12月8日から開始され、
まず、窓を二重窓にする工事が1日あり、
次の日に取り壊しがあり、
3日目には新しいお風呂が設置され、電気の配線工事があり、
4日目は壊したドアの開口部に部材を張り直し、壁紙を貼る内装工事が入る。
5日目は何かあったときの予備日。
 
そんな段取りで、順調ならば、先週の土曜日には新しいお風呂に入れると
ウキウキしながら工事の日を迎えた。
 
その間、ずっと家にいることを考え、
年賀状の木版による版木の作成と、150枚のハガキの摺り、
宛名書きに費やせば、ちょうどいい日程だと踏んでいた。
 
ところが、まず初日に業者が9時半になっても来ない。
どうしたのかと担当者に連絡すると
「あっ、窓はお風呂が新しくなってからじゃないと取り付けられないそうです。
連絡せずにすみません」ときた。
 

『はぁ?ふざけるな!』 その1
 
「じゃあ、今日は何も無しなんですね」
「そうなんです」
 
2日目、さすがに朝イチでふたり組の業者さんが来て、
ものすごい音とホコリをたてながら、バリバリメリメリお風呂を取り壊し、
完全に我が家は工事現場と化した。
 
しかも、取り壊してみたら、お風呂の土台に問題が生じ、
急遽、夕方6時頃、大工さんが来て、補強工事をすることになった。
 
こちらも爆音と金属を切っている嫌な匂いを充満させつつ、
夜9時半、土台を作る工事は終了し、いよいよ明日、新しいお風呂がくる。
 
ところが、次の日の朝、
業者さんはきたのに、物音がしない。
担当の営業さんもきて、何やら誰かと話している。
そして、私が呼ばれた。
 
「奥さん、大変なことが起きました。
お風呂場のドアは最初右にセットしてご提案したものを、
最終的には左に寄せたのに、
お風呂のメーカーさんが変更に気づかず、
最初の図面どおり右寄りにドアをつけちゃったんです。
 
なので、1から作り直しで、あと少なくとも1週間か10日はかかるみたいです」
 
『はぁ?ふざけるな!!』  その2
 
「えっ、お風呂壊しちゃったのに、あと10日もこの状態ですか?」
「今、お湯も出ないんですよ?」
 
「本当に申し訳ありません。
すぐ電気屋さんに連絡して、お湯が出るようにはしますので・・・」
 
「奥さん、申し訳ありません。
今日はもう電気屋さんが他の工事で伺えないので、
明日の朝イチでいいでしょうか」
 
『はぁ?ふざけるな!!!』 その3
 
というわけで、今、我が家は取り壊しから5日たったにも関わらず
写真のような工事現場のままなのである。
 
1日おきに近くの「極楽湯」に出掛け、860円も支払って温泉に浸かっている。
今日はスポーツクラブで初めてシャワーを使ってきた。
 
まだ、いつ入るという連絡はなく、
早くてもこの週末になるだろう。
 
なんてこった。
真冬に給湯器が突然壊れるという事態をかしこく回避したというのに、
思わぬ事件が勃発し、
この師走の気ぜわしいときにお風呂もなく、
私は工事現場で暮らしている。
 
もう心の声が駄々漏れで、怒り心頭と言うより、呆れているのだが、
今は新しいお風呂に
「あ~、極楽、極楽」と身を沈めることを心待ちにしている毎日である。

2015年12月5日土曜日

陶器のオブジェ

 
 
 
 
通っている陶芸工房では3ヶ月に1つ課題が出て、
それを意識して制作することになっている。
 
10月からの課題は『置物』だった。

置物という課題ですぐに思い浮かんだのは沖縄のシーサーだったのだが、
周囲の人達は
 置物の捉え方として、通常のお皿やお茶碗ではないとはいえ、
柿の形の蓋ものの小物入れや、
家の形の物入れ、陶器のクリスマスツリーなどを創っている人が多かった。
 
さて、私は何を創ろうか。
 
元々、先生から「縄文人」というあだ名を頂戴して、
自由に作陶してきた私だから、
いつもとは全く違う何かを創りたい。
 
そう考えて、今回は『雪ん子ファミリー』なる人形達を創ることにした。
想像上の人形達なので、人間のこどもというわけではないのだが・・・。
 
大きな白いコートのような花瓶がお母さん。
小さな角のある3体は、お姉ちゃんと弟と年の離れた妹という設定だ。
ハリネズミみたいな2匹はペット。
 
雪山奥深くに棲んでいる雪ん子達。
 
中は空洞なのだが、実はこの人形達、創るのに大変、苦労した。
 
新聞紙をまるめたものを芯にして、粘土を上からかぶせればいいというので、
言われたとおり創ったまではいいが・・・。
 
中の新聞紙があまりにぎゅう詰めなので
新聞紙を詰めたままでは酸欠状態になってうまく焼けないだろうと
先生の指摘がはいった。

しかも、新聞紙を詰めたまま焼くと何とかガスが発生して
電気炉を傷めるかもしれないし、
一緒に焼く他の人の作品にも悪影響が出るかもしれないと脅された。

そんな、人に迷惑をかけてまで、お人形を焼くつもりはない。
 
そこで、人形の底に開けた5ミリほどの穴を3㎝ぐらいまで大きく削って、
その穴から中の新聞紙をほじくり出すことになったのだが、
その硬くて硬くて手強いこと。
 
先生の手まで借りて、
ただ乾かしただけの本体が壊れんばかりの力で、
2時間かかって新聞紙をほじくり出すという大難産の果てに
何とか素焼きに持ち込んだ。
 
素焼きの後も、釉薬はどんな風にかければいいのか、
顔の表情はどうしようとか、
顔に使う絵の具は上絵用のものなのか下絵用のものなのか、
誰も工房でオブジェを創ったことがなく、まったくの手さぐり状態。
 
しかし、今日、工房に行ってみると、
実験的に施した釉薬や上絵用絵の具はなかなかいい味を出して、
結果的にはかわいい雪ん子ファミリーが無事に焼き上がっていた。
 
「いい大人が何を始めたんだ」と怪訝な顔色だった先生も
「えっ、キャラ変えたの」と笑っていた先輩も
「いいのが焼き上がった」と認めてくださった。

本人も「なかなか可愛いじゃないか」と自己満足。
 
大物のお母さん花瓶には赤い薔薇か赤いカーネーションを飾ろうと思う。
 
今日は焼きあがった花瓶ににじみ止めの薬をかけ回し、
お漏らししないことも確認済みだ。
 
『ファーストペンギン』はどこでもいつの世でも風当たりが強く、
勇気がいるが、
当たって砕けろ精神で、これからもいろいろ挑戦しようと思う。

なんてったって陶芸は趣味なんだし、
ダイエットが必須課題の私にとって、
お皿やどんぶりばかり増えてもしょうがないのだから・・・。


2015年12月3日木曜日

トリオ リベルタにかぶりつき

 
 
 
 
みなとみらい大ホールで行われた
トリオ リベルタのコンサートに行って来た。
 
誘ってくれた友人がみなとみらいホールの会員だったため、
先行予約でチケットを入手することが出来、
お陰で手に入れたチケットが
1階 Cー1列 22番、友人が23番。
 
これがどういう席かというと
舞台の真ん前、最前列の中央より3人ほど右寄りの席ということになる。

トリオ リベルタというのはピアノ・ヴァイオリン・サックスの3人編成。
 
もちろん舞台の真ん中にはグランドピアノが置いてあり、
ピアニスト中岡太志がそこで演奏する。
 
その右手前がサックスの松原孝政の立ち位置で、
舞台左手前にお目当てのヴァイオリニスト石田泰尚が立つ。
 
いつもはどちらかというと石田さまが見えやすいように舞台に向かって左側に
席を取ることが多いのだが、
最前列中央というのは
トリオリベルタのコンサートでは友人も私も初めての経験だ。
 
さて、実際に自分の席に着いてみた。
 
真ん前、3メートル50ぐらいのところに松原孝政がいる。
しかも舞台と床は3段の階段状になっているので、
トントンと3~4歩上がれば、抱きつけるぐらいの近さだ。
 
そして、松原さんの真横3メートルぐらいのところに石田さまは立っている。
石田さまの真ん前には譜面台が斜めに置いてあり、
中央に向かって斜めに立っているので、
私の位置からは4メートル先ぐらいのところに、正面の顔が見えることになる。
 
いつもはいくらなんでももう少しひいた位置から全体象と横顔をみながら
演奏を聴いているのだが、
今夜はとにかく譜面台をみているとは分かっているが
譜面台越しの真っ正面に石田さまの顔がある。

つまり、松原さんと石田さまと私は直角三角形の3点の位置にいることになる。
 
2時間15分、
その石田さまの細い指先から紡ぎ出される繊細かつ、ドラマチックな音色。
完璧なテクニックに裏打ちされた飽くなき追求心、
石田さまの音楽を愛する情熱を、直球で受け取ったような気持ちだった。

もちろんその表情、初めて間近に見る指先も手に取るように見えている。
 
友人は私より更に上をいく石田ファンなので、
私の右隣から私の目の前を横切って石田さまに視線を送り続けていた。
 
しかし、私は真っ正面にサックス奏者の松原さんがいるので、
それを無視して左斜め前ばかり見ているわけにもいかず、
松原さんにも気配り目配りしながら、
そのダイナミックで温かで迫力たっぷりのサックスの音を存分に楽しんだ。
 
ピアノの中岡さんもノリノリだったし、
今夜の演奏は3人の息がいつになくぴったりで、
テンションも高く、トリオリベルタとして出色の出来映えだったと思う。
 
選曲は前半にミシェル・ルグランの映画音楽や
エンリオ・モリコーネのニューシネマパラダイスなどを彼ららしいアレンジで。
後半はピアソラづくしだったので、
ベスト オブ トリオリベルタとでもいうようなラインナップだった。
 
持っているCDに入っている耳なじみの曲が多かったが、
彼らのお得意の曲を目の前で聴け、
しかも、至近距離で自分のために弾いていてくれると錯覚できる幸せ。
 
友人と、帰り道、こんなことを話した。
「今まで、このビジュアルの部分が足りなかったのね。
今日は本当に満足だわ」と。
 
特段イケメンなわけでもないし、
無口で愛想のない人なのに、
それでも側でずっと観ていたい。
なるべく1㎝でも近づきたい。
 
それがファン心理というものなのか。
 
いつになく最前列でかぶりつきの醍醐味を味わい、
興奮冷めやらぬ夜なのでした。
 


2015年11月29日日曜日

映画2本 ナチスに強奪された美術品奪還物語

 
先週、今週と休日に観た映画が奇しくも
両方とも第2次世界大戦終盤にナチスによって強奪された美術品を
アメリカ人が奪還する物語だった。
 
1本は『ミケランジェロ・プロジェクト』
もう1本は『黄金のアデーレ』
 
『ミケランジェロ・プロジェクト』の方はそろそろ上映が終わるかもしれないが、
『黄金のアデーレ』の方は一昨日から始まったばかり。
 
ミケランジェロの方は戦争終結間際の1945年頃
ナチスによって大量に強奪された絵画や彫刻が
焼き払われたり、国から持ち出されていると知ったアメリカ人の美術関係者が
7名のチームでドイツに乗り込み、
岩塩の鉱山や銅山に隠されていた美術品を探し出し救うという内容。
 
アイコンになっている作品が
ミケランジェロの聖母子像だったので、
邦題が『ミケランジェロ・プロジェクト』になったらしい。
 
原題はアメリカ人チームのチーム名だったけど、
それじゃ、日本でうけないとみて、
ミケランジェロ様の名前を借りたのだろう。
 
映画の出来映えもなかなかで、
主演がジョージ・クルーニーとマッド・デイモンなので、
もっとスピーディが売りの軽いアメリカンムービーかと思いきや、
案外、ちゃんと作り込んであった。
 
一方、『黄金のアデーレ』の舞台は現代。
 
戦後50年以上経って、クリムトに描かせた絵のモデルは自分の叔母さんで
当時、家の壁にかかっていたその絵をナチスに持ち去られ、
今はウィーン郊外のヴェルべデーレ宮殿のギャラリーに飾られているけど、
権利は自分にあると訴訟を起こしたアメリカ人女性の物語。
 
ウィーンに住んでいたマリアは、戦争末期にアメリカに逃れ、
50余年アメリカ人として暮らしてきたが、
母国オーストリアを相手取って,裁判で戦うという内容だ。
 
いずれも史実に基づいた話で、
とにかくナチスは酷いということと、
アメリカ人て、正義感が強いというか、権利を主張するというか・・・。
 
去年、ニューヨークとボストンに行った時に
とても観きれないほどの大量の美術品をアメリカは持っているとびっくりしたが、
あれは一体いつ収集したのとちょっと思ってしまった。
 
以前、オーストリアに旅行した時、
自由時間に大好きなクリムトの作品が観たくて、
ヴェルべデーレ宮殿を訪ねたとき、アデーレの作品は確かにそこにあった。
 
それが勝訴して、今はニューヨークのノイエギャラリーにあるらしい。
 
オーストリア人だったアデーレの肖像画なんだから、
オーストリアの美術館にあったままじゃいけなかったのかなどと思いながらも
映画としては映像もきれいだし、
凛としたヘレン・ミレンの老婦人役とへなちょこ若手弁護士との組み合わせも
面白いので、楽しめるいい映画になっている。
 
個人的には旅行した場所がどちらもふんだんに出てきて懐かしかったし、
知っている絵画や彫刻もたっぷり観られ、
とても目が嬉しかった。
 
私達は今のところ戦争をまったく知らずに暮らしているわけだけれど、
ほんの70~75年前には世界中大変だったんだなとあらためて知った。
名品と呼ばれる数多くの絵画や彫刻にも戦争による悲惨な歴史があって、
紆余曲折の果てに、今の美術館や教会にあるんだなと・・・。
 
ここのところ、パリがISの無差別テロに襲撃され、多くの人命が失われ、
世界情勢が混沌としてきている。
以前にはテロ行為によって、遺跡が破棄されたことも記憶に新しい。
 
『ミケランジェロ・プロジェクト』では
「人命はもちろん大事だが、絵画や彫刻も壊されてしまってからでは
取り戻すことが出来ない人類の宝である。
だから、我々、美術関係者がナチスの手から取り戻す意義がある」
という
「アメリカよ、お前は世界の警察か」みたいに突っ込みたくなるセリフがあった。
 
しかし、冗談抜きで,きな臭い事件が多い昨今、
こうしたものの価値は、テロ行為から必ず守らねば。
そんなことを考えさせられた2本の映画同時上映である。

2015年11月26日木曜日

タンゴとクラシックの夕べ

 
 
昼間とは一転、寒い雨が降る中、みなとみらい小ホールまで
コンサートを聴きにいった。
 
私が好きなバンドネオン奏者の小川紀美代さんとカルテット・カノーロという
若手の弦楽器奏者4人とのコラボレーションだ。
 
いったいどんな感じになるのか分からなかったが、
昨今、私が勉強中のタンゴとクラシックとの融合はどのような計られるのか
とても興味があった。
 
バンドネオンという、どこかノスタルジックで叙情的な楽器に惹かれ、
ここのところ何人かのバンドネオン奏者の演奏を聴くことがあるが、
ようやく少し分かったことがある。
 
それは、だれのバンドネオンも好きなわけじゃないということだ。
 
だれの弾くヴァイオリンも好きなわけじゃないというのと同じで、
バンドネオンの音がしさえすればいいというものじゃないということ。
 
当たり前といえば、当たり前なのだが・・・。
 
小川紀美代さんは最初観た時から不思議な人だった。
 
まるで『異邦人』とでもいいたいようなくしゃくしゃの布でできた洋服を身にまとい、
静かに舞台に現れると中央の椅子にひとり座って演奏が始まる。
 
膝の上に置いたバンドネオンを大きく開いたり閉じたり、
体全体をくねらせたり反らせたりして演奏する。
顔は目を閉じているが、ちょっとエロティックな表情になる。
 
小柄なので、バンドネオンに操られるような感じで
体が縦横無尽にしなやかに揺れる。
 
曲のリズムに乗って、かかとで鳴らす音が舞台の音響効果のようだ。
途中、スッと吸い込む呼吸音さえ、指揮者のそれのように曲の一部になっている。
 
夕べの演奏を前から2番目中央のかぶりつきで見たり聴いたりしたことで、
自分がこの不思議なバンドネオン奏者自体が好きなんだと
分かった。
 
彼女が作曲した『光の道』『Delphos』という2曲は
以前にも聴いたことのある曲だったせいで、
ようやく体の中に素直に入ってきて定着した。
 
彼女の不思議な印象そのままの不思議な美しい曲。
 
タンゴの名曲『エル・チョクロ』『首の差で』という曲も
彼女の演奏ですこし前に初めて聴いたのだが、
鶴見大学でのタンゴの講座でも紹介された曲だと分かり、
点と点が線でつながったような気がした。
 
小川紀美代のバンドネオンとヴァイオリニスト上原千陽子の繰り出す
『コンドルは飛んでいく』はすごく情熱的で、
私達が知っている『コンドルは飛んでいく』とはまるで違っていて面白い。
 
それがオリジナル曲だということで、
訳詞を朗読の長浜奈津子が曲の合間に語るのだが、
そんな意味の歌詞なのかと驚く。
 
「私はかたつむりになるなら、スズメになりたい。
スズメになって空を飛びたい。
 
私は釘になるなら、ハンマーになりたい。
ハンマーになって打ち砕いてしまいたい」
みたいな歌詞なのだ。
 
2部は弦楽四重奏で耳なじみのあるクラシックの名曲を
4人の弦楽器奏者が5曲ほど弾いて
最後はまた、小川紀美代とカルテット・カノーノとの演奏で
『忘却』と『リベルタンゴ』だった。
 
最初、初めての演奏家を見たり聴いたりしたときには感じなかった
演奏家の人となりや生活感のようなものが
何度か同じ人の演奏を聴いている内にわかってくる。

演奏家も人の子だからね。
 
夕べも全身黒いボロ雑巾のような布を身にまとい、
黒い頭巾をかぶった小川紀美代が
古い愛器のバンドネオンを全身で奏でるとき、
人生をバンドネオンに捧げた彼女の生き様がひたひたと伝わってきた。
 
玉虫色のロングドレスに身を包んだ
クラシック畑に棲んでいるヴァイオリニストの上原千陽子とは、
楽器の演奏を通して意気投合し、
ビジュアル的にはちぐはぐなれど
お互いリスペクトし合って演奏していることが分かる。
 
言葉のいらない音楽という世界で
巡り会えた大切な友人なんだろう。
 
ふたりが心と心で通じ合っているということが伝わってくるコンサートだった。
 
きっと誰しも人はそうした出逢いを求めて生きている。
生きている間に
言葉を介さなくても通じ合う人に何人出会えるだろう。
 
音楽の楽しさ、人との出逢いの歓び、
そんな感覚まで伝わってきた、かぶりつきで観た舞台。
 
ひとりで聴きに行っているのが少し寂しい気もしたが、
それでもひとりほっこりした、いい時間だった。

外は急に冷え込んで雨まで降っているけど、
体の芯にろうそくの灯が灯るようなステキなコンサートだった。


2015年11月22日日曜日

秋の空に赤い柿

 
 
 
今年の秋はなんだか妙に温かい。
いつもならとっくに革ジャケットにショートブーツというのが定番のスタイルなのに
皮ジャケをきてしまうと汗ばむぐらいの陽気だ。
 
昨日の土曜日も朝はまだ雨の残りで路面が濡れていたけど、
そこから日中にかけては気温もあがり、
薄手のニットにデニムジャケットで十分な様子になってきた。
 
昼過ぎ、陶芸工房に行くため、家を出た。
2ヶ月に1度の釉薬をかける日なので、どんな釉薬をかけ
どんな作品にできあがるのか楽しみだ。
 
外に出ると太陽の日差しが温かい。
ふと見あげると空はどこまでも高く透明で、突き抜けるように青い。
 
そこに大きな刷毛で絵に描いたかのようなうろこ雲が
パーッと広がっている。
その空の青と、雲の白とのコントラストの美しいこと。
 
思わずバッグからカメラを出して何枚かシャッターを切りながら
階段を下りていくと小学校につきあたる。
校庭の脇には赤く色づいた桜の木と
たわわに実った柿の木がある。
 
その柿の実の大きいこと。
重みで枝がしなるほどの大きくて真っ赤な柿の実が青い空に映えて美しい。
これぞ秋の風景だと思いながら、桜の落ち葉を踏みながら歩いた。
 
きっと京都に行ったり、香嵐渓にいったりすれば、
もっとすごい紅葉が見られるだろう。
でも、人もいっぱいだ。
 
そこまでいかなくても、家の近所にも秋の風情はいろいろある。
近所の小さな秋を見つけるのも、十分楽しいし、
ほっこりできる。
 
そういう感性が自分にあるということにも歓びを感じる。
 
まあ、人間、感じ方次第で幸せにも不幸にもなるということを
真っ赤な柿の実とうろこ雲が教えてくれているんだと思う。
 
もちろん柿の実は食べても最高!
味覚の秋は至福の時をもたらしてくれるのでした。

 


2015年11月14日土曜日

タンゴダンスの世界へようこそ

 
 
戸塚のさくらプラザホールというまだ真新しいホールで
横浜タンゴと題されたコンサートがあった。
 
ここのところ何度も観に行っているヒラルディージョという団体が主催する
東日本大震災のためのチャリティコンサートのひとつ。
 
私としてはフラメンコのものを中心に選んできたが、
今回は大好きなバンドネオン、ヴァイオリン、ピアノと歌。
そして、何よりタンゴのダンサーが6組も出演するという。
 
実は最近、愛するピアソラのことをもっと知りたいというのと、
もしかして版17が数年後にブエノスアイレスでグループ展をするかもしれない
という淡い期待が実現したときのため、
大学の生涯教育の講座で「アルゼンチンタンゴ」について学んでいる。
 
講座の内容はアルゼンチンタンゴの発達の歴史に始まり、
タンゴダンスの特徴、男と女、粋な踊りとは・・・みたいなタイトルで
大学の教授が講義をし、
講座の後半に実際に受講生が組んでダンスを踊るというもの。
 
講座を受け持っているのは鶴見大学の文学部の教授だが、
彼はアルゼンチンタンゴの踊り手でもある。
後半の踊りのレッスンを受け持っているのは、
アルゼンチンタンゴのダンサーの女性で、教授の奥さんでもある。
 
そうした講師のこと、講座の内容のことは何も知らないままに申し込んだので
1回目を受講したときはいささか面食らった。
 
自分が踊るつもりはサラサラなかったので、
普段の靴を履いていったのだが、
講座の後半にはみんなダンスシューズに履き替えて・・・。
 
そんなわけで少なからず初めて会うおじさん達と組んで踊ることに
抵抗を感じつつ、
基本のステップを1講座1ステップ教えてもらって、
相手の足を踏まないよう、ヨタヨタとレッスンが始まった。
 
夕べで6回講座を終了したところで、このコンサートを見たせいか、
自分ではまだちっとも出来ないくせに、
人の足さばきや手の位置、男性のリードの仕方やふたりの呼吸の合わせ方など
ただ単にあの人かっこいい~の素人目線から、
少し踏み込んだ鑑賞が出来たかもしれない。
 
今はまだ男性のリードに身を任せるとか、
ちょっとしたサインを感じるとか、全然出来ていないので、
ややもすると自分から動こうとして注意されてしまうのだが、
舞台上のダンサー達の関係性や呼吸みたいなものが気になって仕方ない。
 
1番楽しみにしていたバンドネオンはダンスの伴奏にすぎなくて、
あまり見せ場がなかったせいか、すっかりダンスに霞んでしまった。
 
フラメンコとは全く違う持ち味のアルゼンチンタンゴのダンス。
 
まだちょっと自分自身がその世界に足を突っ込む勇気はないが、
タンゴの曲に合わせてあんなに格好良く踊れたら気持ちいいだろうなと
他人事として楽しく鑑賞することは出来た。

2015年11月10日火曜日

初体験 株の売り抜け

 
11月4日に上場され、市場に出た日本郵便関連の株が、
かんぽ生命・ゆうちょ銀行・日本郵便と3つあり、
いずれも好調なスタートをきって、株価が上昇している。
 
未だかつて株というものを1回も買ったことなない私だったが、
ある銀行の担当さんに勧められ、
ひと月ほど前に申し込み、
かんぽ生命とゆうちょ銀行の分を少しだけ買ってみることにした。
 
あまりの人気に、当初何百万分も買いたいと申し込んだ人も
証券会社や銀行側で、みんな平等に少しずつという取り決めがなされ、
私もそのとりきめの分だけ買っていたのだが・・・。
 
それがそれが、ビックリするほどの上昇をみせ、
とりわけかんぽ生命が先週の水曜日に売りに出されるや
次の日には早々に買ったばかりのものを売却する動きになったとか。
 
私はそんなこととはつゆ知らず、
株というものはしばらく持っていて、いずれタイミングをみて売るものだと
認識していたので、
買って数日で売り飛ばすなど、天から考えずにいた。
 
そんな時、担当の女性から電話があり、
「けっこう皆さん売っていますが、いかがなさいますか」と打診があり、
思いも寄らない展開にオロオロ。
 
自分で株価の動向を見る画面をパソコン上に出すことさえしたことがない
無知な人間が、今何をすべきかさっぱりつかめなかった。
 
それでも新聞の株価のページぐらいは見ることができたので、
生まれて初めてしげしげと覗き込み、
先週の金曜日の終値がなんと4190円だったことを確かめた。
 
1株2200円だったものが次の日に4190円になるとは
いったいどういうこと?
 
それが、売り注文の嵐が吹き荒れたらしく、以後はどんどん失速して
月曜日の終値は3640円。
 
株価は1分ごとに変わるので、1日の内でも上げたり下げたりしているが、
結果的に言えば、4190円を最高値にして、どんどん下がっている状態だ。
 
とはいえ、
2200円だと思っていたものがたった4日間で3640円になるとしたら、
それこそまだまだ十分に大もうけと言えるだろう。
 
額に汗して働くのが馬鹿らしくなるような大化けぶりだ。
 
まだ年末にかけ、上がるという人もいる。
昨日、ニューヨーク株が値を下げたから、今日は下がるという予想がある。
 
でも、たった1日なのに、株価が気になってそわそわしている自分が嫌になる。
結局、毎日、数字の上がり下がりに一喜一憂することが
どうにも性に合わないと感じた。
 
そこで朝の一番に銀行に向かい、
担当の人に「とにかく朝イチで売ります」と宣言した。
 
昨日の夕方、右往左往していたはずなのにどうしたことと目を丸くされたが、
「どんな値になっていようと構わない。
株価に翻弄されるのが駄目みたい」というと、
了解して、売り方の手順を丁寧に教えてくれた。
 
結果は1株3660円で昨日の終値より20円高。
私にしては上場の出来だ。
 
これで、あぶく銭が結構な額、転がり込むことになる。
 
嬉しいような、そうでもないような不思議な気持ち。
これで明日からかんぽ生命の株価に一喜一憂しなくて済むことの方が
嬉しい。
 
人間、コツコツ真面目に働いて対価を得るのが本当なのに・・・。
そんなことを思いながらも、
本日の大仕事を朝イチに終え、
「株を高値で売り抜ける」という初体験は無事、終了した。

2015年11月9日月曜日

大邸宅のグループ展

 
 
 
 
 
7日の土曜日から、田園調布にあるみぞえ画廊で、
銀杏の会『2015 美術の庭』展が始まった。
 
8日にオープニングパーティが行われ、
今回のテーマが『音楽と美術』だったんので、それにちなんで
バロックの演奏会が開かれた。
 
みぞえ画廊はこれがギャラリーかと疑うような
田園調布にある立派な日本家屋の邸宅で、
この各部屋に40名ほどの参加作家の作品が展示されている。
 
今年は
「音楽に関連した作品を」というテーマが与えられていたので、
私はピアソラの音楽に着想を得た作品を出品した。
 
他の人達は作品の中にピアノを描いたり、ギターを描いたり、
テーマをはっきり意識した作品もあった。
 
また、タイトルに私のように作曲家の名前や音楽家の名前が入っていたり、
作品自体が音楽に啓発されているなと感じさせるものも多かった。
 
私もタンゴを踊る男女をイメージした絵柄をグロリオサの花で表現し、
しかしながらピアソラの旋律の切ない感じを出すために、
色は赤と黒みたいなドラマティックな感じではなく、抑え目にした。
 
逆にどこが音楽?といいたくなるぐらいいつもどおりの人もけっこういたが、
今回のお題を意識した人同志は
お互いに「いつもとちょっと違うね」とか「このための新作だね」などと
それぞれの作品の新味について評価し合った。
 
オープニングパーティでは基調講演として、
美術評論家の倉林靖氏の「美術と音楽」という講義があり、
「共感覚」という耳なじみの薄い言葉について、いろいろ話され、
興味深かった。
 
講義の後にはバロックのサロンコンサートが催され、
倉林氏がリコーダー、
他に女性のアーティストがチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバを演奏して、
シューベルトやヘンデルの曲を1時間半ほど聴かせてくれた。
 
思いがけずに長時間の演奏だったので、
会は絵の展覧会ではなく、演奏会になってしまって、
100名ほどのお客様はすっかりバロックの夕べに酔いしれて、
あやうく全く絵を観ないで帰りそうになるぐらいだった。
 
演奏会の後にはキッチンで近所の奥様方が作ったというパーティ料理が
次々出され、ワインも大きなグラスにたっぷり注がれ、
なんともリッチな場所で贅沢な展覧会のオープニングになった。
 
九州のどことかの建築会社の持ち物だという邸宅に
靴を脱いでお邪魔したはいいけど、
なんだかあんまり立派すぎて居心地が悪い。
そんな感じのパーティだった。
 
きっとそこに集った作家達もみんな同じ想いだったのではないだろうか。
知り合いの作家達ともでる言葉は「凄いね」ばかり。
 
ちょっと気恥ずかしそうに壁に掛かっている我が作品、
会期中に田園調布のどなたかの目に止まってくれますように。
 
そんなことを考えながら、
作品だけ大邸宅の壁に残して
帰路についたのであった。

2015年11月5日木曜日

勇壮!唐津くんち

 
 
 
 
 
 
 
11月2日から2泊3日で、九州唐津に行って来た。
一番の目的は「唐津くんち」というお祭りを観ることだった。
 
くんちという名前は長崎くんちの方が有名かもしれないが、
唐津くんちもどうしてどうして200年の歴史があり、
唐津っ子は1年をこの祭りの3日間のために生きているといっても過言では無い
というぐらい、祭りに命をかけ、守ってきたそうな。
 
祭りでは14基の山車がでて、それが街中を練り歩くのだが、
その山車の美しさと勇壮さは観るものを感動させる。
 
1基2トンから4トンもあるという山車を200人から250人ぐらいの曳き子と
呼ばれる男性達がかけ声と共に曳いて歩く。
 
それぞれの艶やかなはっぴ姿と山車との取り合わせが美しく、
笛の音や太鼓の音とともに
かけ声が街中にこだまして祭りの臨場感を盛り上げている。
 
曳き子の男性にはイケメンが目立ち、
浅黒い肌の色、細面の顔だちで、
濃い眉にりりしい目鼻立ちの青年が、目の前を威勢よく駆け抜ける様に
うっとりしてしまう。
 
同行の30年来の友人と、山車の巡行順路の地図を見ながら
何時頃どこに行けば山車を見られるのかあたりをつけ、
初めて訪ねた唐津の街を歩き回った。
 
14基がすべて通り過ぎるのに約50分かかるという大がかりな行列を
1.5回分観ることが出来、存分にお祭りの熱気を味わうことができた。
 
2泊3日の間には他に佐賀牛や、呼子の透き通ったイカの活き作りのランチ、
伊万里焼の窯元が集まった集落での買い物、
九十九島のクルーズと、ザビエル記念教会など平戸の散策などが含まれ、
快晴のお天気に恵まれ、
命の大洗濯ができた3日間だった。
 
新幹線のぞみで約5時間、
朝6時に東京駅を出発して、
名古屋も大阪も岡山も広島もぐんぐんびゅんびゅん駆け抜ければ
11時前には博多に到着。
 
遠いはずの九州に降り立ち、歴史ある祭りと焼き物と土地の料理を楽しんだ。
 
飛行機でいく旅とはまた違って、
陸続きに走っているのに、
5時間で九州についてしまうことに不思議な感じを覚える。
 
唐津は唐(朝鮮)とのつながりがあったから唐津という名前だそうで、
その昔は捕鯨で栄えた村で
異国の血も混じっているとおぼしきイケメンばかり。
 
遠いようで意外と近い街に降り立ち、
同じ日本人でありながら、歴史や風土の違いを感じた。
 
日本新発見ともいうべき出逢いと体験に
海外もいいけど、日本をもっと知りたいという想いを強くした九州の旅だった。


2015年11月1日日曜日

パティシエ学校の文化祭

 
 
9月初旬まで「就職対策講座」の講義に講師として通っていた
パティシエ養成専門学校の文化祭が行われたので、久しぶりにいってみた。
 
門の前には学生やスタッフの先生が大勢出ていて、
みんな気さくに声を掛けてくれる。
 
担当している部署によって、スーツを着ている学生もいれば、
揃いのTシャツで売り子をしている学生もいる。
カフェ担当の学生はレストランのホールスタッフの制服なので、
随分大人っぽい。
 
まだ、横浜駅の近くにできたばかりの新校舎は8階建ての立派な建物で
まずは8階まで行ってから、降りつつ、各階の展示を見て回ることにした。
 
8階はこどもを対象にした「ケーキデコレーション体験教室」で
カップケーキに生クリームを絞り出し、
好きなチョコビーズやカットフルーツなどをのせ、
可愛いスイーツをつくって持ち帰ることができるらしい。
 
階段形状の大きな会場なのに、親子連れでごった返していて、
私みたいな大人のおひとり様は中に入ることさえ出来ない。
首をのばして様子をうかがっただけで、早々に階下に降りていくしかない。
 
7階はアジアンレストラン
6階は洋菓子クラスの学生が作った洋菓子販売ブースだけど、
いずれも階段にまで人の列ができていて、
とても食べたり買ったりできそうにない。
 
でも5階にきて、ようやく人垣がまばらになったので、
パンの販売ブースでいくつか菓子パンと
甘味処でお持ち帰り用の和菓子のセットを手に入れることが出来た。
 
どちらも講義の時にいた顔なじみの学生が売り子さんだったり、
会計係だったので、オススメアイテムを訊いたりして、
文化祭らしい雰囲気をようやく味わった。
 
こうしてパンやケーキを作るだけでなく、接客もしながら、
世の中に出ていくトレーニングを積んでいく。
アルバイトでコンビニのレジなどをしている学生は大勢いるのだが、
自分の本職での就業体験に近い作業で疑似体験を積んでいるわけだ。
 
4階と3階のケーキ・和菓子・パンを使った作品展示は
各自力のこもった作品で、日頃の成果を見せてくれている。
いろいろな賞も用意されているので、
自分の実力を認めてもらった学生はそれを糧に
今後も頑張ろうと思うに違いない。
 
食べ物を提供しているブースはどこも混雑なので帰ろうかと思ったら、
この春辞めてしまった教務部長だった先生から声を掛けられ、
すこし列に並んで、カフェでランチをいただくことに。
 
親御さんの介護で離職を余儀なくされた方だったので、
今も続いているお母さんの介護の話や受け持っている今年の学生の話などを、
学生の作った少々硬いブリオッシュサンドを食べながらおしゃべりした。
 
9月初旬には終わってしまった今年の非常勤講師のお役目も
まだまだ続いていて、
後期はゼロになったしまったわけじゃないことを確認して帰って来た。
 
次に会うのは今日の学生がキモノや袴を着て出席する卒業式になるだろう。
 
まだ、ちょっと言葉遣いや対応がぎこちない彼らに
全員就職先が決まって、明るい未来が開けますように。
 
そんなことを想いながら、
ちょっとご無沙汰だった学園の門を出た。

2015年10月29日木曜日

勘三郎の至芸 『籠釣甁花街酔醒』

 
 
先週の土曜日から1週間だけ上映されている
月イチ歌舞伎シネマ『籠釣甁花街酔醒』を観に、東銀座の東劇に行って来た。
 
いつもはこの月イチ歌舞伎、まばらなお客さんのことも多いのだが、
この演目はやっぱりというかさすがというか
ほぼ満席の大盛況だった。
 
歌舞伎といっても映画館で行われる歌舞伎なのに、
なぜかキモノ姿の人がとても多い。
 
私も歌舞伎座に行って観劇するときはなるべくキモノでと思うのだが、
映画館で歌舞伎を観るのにキモノでいこうとは考えたこともなかったが、
さすが銀座というか、この演目だからなのか、凄いとしかいいようがない。
 
さて、何が凄いのか。
 
それはもう、今は亡き中村勘三郎の演技だろう。
 
美しさの極みである玉三郞分する花魁八つ橋の花魁道中を観て、
一目惚れする地方都市に住む大商人・佐野次郎左衛門を勘三郎が演じている。
 
顔はあばただらけの醜い男ながら、お金の遣いぷりといい、気の遣いようといい、
申し分のない上客で、
八つ橋の元に通い詰め、やがて身請けの話になった時・・・。
 
歌舞伎の見所は
吉原の花魁といった豪華絢爛で、
現代では見ることも出来ない華やかな世界であったり、
今も昔も変わらない男女の機微や身分・立場の違いによる心理描写など、
役者の表現力の素晴らしさだったりするのだが、
その点、この演目、歌舞伎らしい歌舞伎の代表格といえよう。
 
最初の見初めのシーンの勘三郎のあっけにとられる表情、
自分の美しさを十分分かっていて、
相手が自分に惚れたことを見下すように微笑む玉三郞の艶然とした顔つき。
 
舞台だと席によっては遠くでよく見えないこのあたりの表情も
映画だと大アップで捉えているので、本当に楽しめる。
 
結構、ふたりの顔の表情に頼って、時が止まったような長いシーンが多いので
その度に映画館中がしーんと静まりかえって
見初められたり、別れを切り出されたりの場面に食い入るような
空気が流れた。
 
あばたを顔中に描いた勘三郎の顔に
歓びの表情、困惑の表情、驚きの表情と絶妙な顔つきが表れる。
 
平成22年2月に歌舞伎座で興行された作品なので、
もしかしたらのどに癌があったのか、
声が少しかすれている。
 
しかし、その眉の動き、口の開け具合、何かを悟った様子など、
わずかな動きで演じ分ける巧みさは、もう独壇場である。
 
勘三郎扮する大商人次郎左衛門の丁稚役で長男勘九郎が出ているのだが、
5年前にして、やっぱりカエルの子はカエルの演技を見せている。
 
今日観た勘三郎は役者として凄いのは凄いのだが、
もしかしたら、既に病の兆候を感じていて、病との戦いが始まっていたのかもと
思わせる節がある。
 
人の運命は変えられない。
でも、知ったとしても受け入れるには時間がかかる。
そんな時期だったのではないかと勘ぐりたくなる
鬼気迫る勘三郎・勘九郎の演技であった。
 
そして、玉三郞はやっぱりこの世のものとは思えないぐらい美しい。
プロフェッショナルな女性であり、役者である。

これが映画とはいえ、同時代に生きて観られた幸せを感じた
『籠釣甁花街酔醒』(かごつるべはなのえいざめ)

2015年10月25日日曜日

恩師あーしゃの舞

 
 
 
今日は以前習っていたフラメンコの先生あーしゃのリサイタル。
 
場所は内幸町のイイノホール、
スペインから5人ものアーティストを招聘して、2回目のリサイタルである。
 
1回目の時は私もまだレッスンに通っていたが、
いろいろついていけなくなって、クラスを辞めて2年近く経つが、
あーしゃ先生の舞台は辞めて以来初めて観ることになる。
 
1回目は赤レンガ倉庫の中の会場だったが、今回は名門イイノホール。
スペインから5人ものアーティストが彼女のために来日しての
ワンマン・リサイタルというわけだから、そりゃもう凄いことだ。
 
会場には懐かしい面々の顔もたくさんあって、
思わずハグしたが、それぞれまだレッスンを続けているというのだから
頭が下がる。
 
この数年間に先生は結婚し、男の子をひとり出産。
そのお子さんがたぶん二つ前の席におばあちゃんと一緒にいた男の子だと
思うのだが、パパの姿はどこに?
 
詳しいことは知らないが、
このフラメンコ・アーティストの生活の中に一般の会社員との結婚と
出産・子育てを組み込むことはさぞ大変だろう。
 
舞台の上のあーしゃはアーティストとして大きく成長し、輝いているけど、
ただ成長したのではない、何か人生の重みを感じさせた。
 
今日のあーしゃは
フラメンコという異国の音楽と舞踊に魅せられ、
日本での生活とのバランスに苦慮しながら、
ひとり苦闘する、そんな姿に見えた。
 
元々フラメンコはジプシーの悲哀を歌い、踊りで表現したものだから、
別の意味で異国の音楽と舞踏に魅せられた日本女性が
日本とスペインの狭間で苦悩する姿に置き換えられると言ってもいいだろう。
 
今日は昨日のフラメンコとは違って、
踊っているあーしゃを個人的に知っているせいで、
いろいろ感情移入して観てしまった。
 
会場でハグした面々は、見た目は以前とちっとも変わらないけど、
この数年でそれぞれの人生は少しずつ変化しているだろう。
 
私自身も違っているのだから、当たり前だが・・・。
 
そんなこんなを踊りという表現に込め、
あーしゃは今日の舞台に立っていたのだと思うと、ちょっと切なくなる。
 
またいつか会っていろいろ話してみたいけど、
まずは素晴らしいフラメンコの世界を堪能させていただき、
ありがとうございました。
 
きっと今頃、まだスペイン人アーティスト達と祝杯を挙げている頃だと思うけど、
本当にお疲れ様でした。