2014年10月31日金曜日

鎌倉で旧交を温める

 
 
アメリカから帰国して1週間。
時差ボケと戦いながら、毎日1本ずつブログをアップしてきたが
その間にもいろいろ出来事は起きていた。
 
そのひとつが中学・高校の時の同窓会だ。
5日前の日曜日、『還暦祝賀会』と題された特別な同窓会は
芝の東京プリンスホテルで行われ、
卒業生の約3分の1の出席を得て、にぎやかに執り行われた。
 
私も例によってキモノを着込み、いそいそと出掛けたのだが
親友も北海道の札幌から上京し参加していた。
彼女は律儀にも真っ赤なカーディガンを着て、
『還暦祝賀会』という主旨に添ったドレスコードを遵守して駆けつけた。
 
しかし、実際には90名ちかくの参加者の中で赤い洋服を着てきたのは2人だけで
「還暦といえば赤いちゃんちゃんこ」といった定説は
もはや伝説になろうとしているらしい。
 
逆にいつもは本当の少数派だったキモノは今回は10名ちかくいて
みんなキモノを楽しむ、そんな熟女の年齢になったんだと感慨深かった。
 
さて、今日はそんな律儀な友人と連れだって鎌倉に行って来た。
 
彼女が北海道から東京のご実家にでてくるのは年に1度ぐらいのものなので、
この期を逃すとまたしばらく逢えなくなる。
そこで同窓会で会うだけでなく、
ふたりだけでも会って、たくさんおしゃべりしようということになった。
 
彼女とは中学・高校の6年間のうち、5年間は同じクラスだったので、
その後の進路はまったく違うし、彼女が北海道に嫁にいってしまった段階で
本当に会えない中になってしまったのだが、
何十年ブランクがあっても、再会すれば、何の違和感もなくおしゃべりできるのが
思春期の友人のいいところだ。
 
北鎌倉のレストランで今流行の和モダンフレンチをいただき2時間半、
鎌倉に出て、段葛や小町通りを抜け、八幡様にお参りをしながら2時間、
最後にどうしても食べて欲しかった甘味処『雲母』の白玉クリームあんみつを
食べながら1時間、
歩きながら、食べながら、ニューヨークの写真集を眺めながら
つきることなくおしゃべりして楽しい時間は過ぎていった。
 
何かと似ているところのあるふたり、
今回も同じダウンジャケットを持っている話や
ダンナがお互いアジアに単身赴任になった話など
いくつか共通点を見出しては不思議なご縁を再確認した。
 
疎遠になったり、再会したり、
いつもはそばにいなくても、
会えばすぐまた打ち解けられる昔の友人はいいものだ。
 
旧交を温め、ほっこり和んだ鎌倉の1日だった。

2014年10月30日木曜日

アメリカ旅行記 その7 肉食のニューヨーク シーフードのボストン

 
アメリカ旅行記最後はまとめとして
ニューヨークとボストンの全体的イメージの差を書いてみようと思う。
 
上の写真はニューヨーク、メトロポリタン美術館のカフェテリアで
最初にとったランチの時のハンバーガーである。
 
比較する物が大きめのジュースのビンなので、
さほど大きいバーガーに見えないかもしれないが
ひとくちでかぶりついても具に達しない厚みがある。
 
ハンバーガーとツナサンドとミートローフサンドを各1ずつ買ってみたが
いずれも約12ドルなので、日本円で1300円ほどする。
 
それをダンナはスープのついたセットにしたからバーガーとスープで1900円。
女ふたりはセットにはしなかったが、ジュースを頼んだので
3人のバーガーランチの値段が税金も足すと
合計で6000円ぐらいになって、本当にビックリした。
 
アメリカの物価の高さに目を白黒させたのが
このランチだったのは記憶に新しい。
 
他の食品も推して知るべし。
 
例えばエビアンの水2㍑ボトルは1本4,5ドルだから、約500円。
ディナーの時、レストランで食事をしたときは4~5万円だった。
同じようなランクの日本の食事と比較すると相当高い印象だ。
 
ニューヨークといえば、ハンバーガー、もしくはステーキディナーというのが
素人の私が考えるイメージだが、
実際、街にはハンバーガーショップや屋台、デリがいたるところにあった。
 
ステーキレストランもきっと多いと思うが、
ニューヨークでシーフードをウリにしているという店の看板は記憶にない。
 
全般に何でも大量に購入し、大いに消費し、大いに余ったりゴミが出るが、
よく分別もせず、簡単に大量廃棄する。
それがニューヨークの印象だ。
 
細かいことは気にせず、合理的というか大ざっぱというか
どんな種類のバーガーも均一料金だし、
地下鉄も1駅乗っても全線乗っても均一の300円ぐらい。
 
ちょっと乗るだけだとすごく高く感じるので
ならば歩いてしまおうとするから、結局、歩いて歩いて歩き倒すことになる。
 
文化面もその『どんなもんだい』という、これでもかという徹底ぶりは凄いものがある。
 
ひとつの美術館や博物館の規模、作品の収蔵数などは
日本の美術館の5舘分ぐらいは優にある。
 
お得感もあるけど、1回では回りきれない量なので
しみじみ楽しめないので、ちょっともったいない。
 
一番凄いなと思ったのはやっぱりエンターテイメントの分野で
ミュージカルもバレエもパフォーマンスの迫力と完成度が素晴らしく
3晩連続で観ることが出来、本当に楽しくて幸せだった。
 
一方、ニューヨークの肉食人種に比べ、
ボストンは草食ではなく、シーフード人種である。
 
ボストンのマスコットはロブスター。
 
ホテル近くの巨大スーパーの魚売り場にはどどーんとサーモンや
ホタテ、海老、名前のわからない大ぶりの白身魚の半身などが
5メートル以上あるショーケースの中で売られている。
 
私も2晩目はレモンマリネされているサーモンを買って
ホテルのミニキッチンで調理して食べたが
日本の1切れの倍ぐらいあって、食べ応えのあるおいしいサーモンだった。

 
ボストン最後の夜はこの旅行最後の夜でもあったので
ボストンでもっとも予約の取りにくいといわれている
オイスターバー・レストランの予約をして、シーフードディナーを楽しんだ。
 
写真はアペタイザーとして注文した地域のちがう2種類の生カキと
とてもシュリンプなんて可愛くは呼べないブリブリのシュリンプである。

 
その後、メインにロブスターを頼んでみたが、こちらは値段の割りには
「あら、こんなもの?」という大きさだったのだが
もしかしたらアメリカ滞在中に大きなバーガーだのステーキだのを見過ぎて
正常な大きさのものを見ても大きくは感じない感覚マヒに陥っていたのかも。
 
文化面でのボストンは
ハーバード大学とボストン美術館しか見ていないので
いかにも高尚、かつ、上品なイメージしかない。
 
ボストン美術館は
ニューヨークのメトロポリタン美術館と狙っている路線は似ているので比較すると
規模はだいぶ小さくなるが、展示物の見せ方が凝っていて
一部屋一部屋、その展示物のテーマに合わせて壁の色を違えたり
照明のあて方を工夫したりと
学芸員のコンセプトと探求心の深さを見る思いがした。
 
特別展でやっていたGOYA展もとても素晴らしく、見応えがあったし
展示方法もよかった。
また、日本文化、中国文化など国別の文化紹介的展示も凝っていて
1箇所でいくつもの展覧会を観たようで、とてもお得感があった。
 
エンターテイメントは何も観なかったので何とも言えないし、
きっとそちらはミュージカルの看板の文言から類推するに
あくまでもボストンは地方都市なんだろう。
 
「ニューヨークから巡回してきているから見逃すな」みたいな感じだった。
 
しかし、シーフード好きのややおとなしい感のあるボストンだが
スイーツのこてこてだけはニューヨークに負けず劣らす。
写真のようにアイスクリームにもケーキにもリンゴにも
これでもかとチョコやグミがへばりついている。

 
次女がアイスクリームを買ってみたが
日本ではトッピングとしてスプレーチョコをのせるが
ボストンではアイスクリームをカップに入れ、いきなりカップを逆さまにして
ガバッとm&m’sのチョコとグミをつく限りいっぱい、くっつけてくれた。
(これはトッピングじゃないよね)
 
これじゃあ、あの巨大なお尻になるのもそう遠くない。
そう思わせる大胆なアイスクリームを食べながら、
「やっぱりボストンもアメリカはアメリカだ」と思ったとか・・・。

いろいろな意味でアメリカはカルチャーショックの大きな国だったし、
インスパイヤーされることもたくさんあったが、
逆に日本ていいなぁと再確認した部分も大きかった気がする。
 
憧れのアメリカ、
早く行きたかったニューヨーク、
予想外にステキな街ボストン、
ようやく叶ったアメリカ旅行の余韻を楽しみながら、
また、いつもの日常にもどろうと思う。
 
 
ここまでおつきあいくださいまして、ありがとうございます。
おやすみなさ~い。
明日からも頑張りま~す!


2014年10月29日水曜日

アメリカ旅行記 その6 クラシックな街ボストン

 


 
 
 
6日間のニューヨーク滞在を無事終え、7日目に私たちはボストンに向かった。
国内線で1時間半、ニューヨークとは雰囲気のまったく異なる街に降り立った。
 
ニューヨークはどこもエネルギーと騒音であふれ雑然とした印象だったが
ボストンは人の数がまず圧倒的に少なく、
空気そのものが清浄な感じで、静かな街だった。
 
気温もぐっと下がり、
日本から持ってきた衣類が厚物過ぎて、ことごとく失敗だったかと思っていたが、
ようやくここへ来て、秋らしいひんやりした気温になり活躍しそうだ。
 
ニューヨークは地の利を一番に考えた繁華街のど真ん中のホテルだったが
ボストンはボストン美術館にほど近い
ミニキッチンがついたアパート形式のホテルにしたという。
 
ニューヨークに関しては膝をのりだして自己主張したが、
ボストンはダンナのオススメだったので、私はおとなしくお任せすることにした。
 
というわけで何の予習もせず、さして期待もせず、
事前に『地球の歩き方』の『ボストン編』を買っただけでやってきてしまったが
想像以上に美しく、煉瓦作りの建物や道にすっかり魅了されてしまった。
 
住むとしたら完全にボストンに軍配があがると思うほど、
静かで穏やかで美しい、クラシックなたたずまいの街だ。
 
そこで出会った人々もニューヨークの人達のように常にテンション高く
ジョークを飛ばし続けるわけではなく、
普通のテンションで話し、穏やかな様子だ。
 
カフェオレ1杯飲んでいる間中、何回も
「どお?楽しんでる?」と訊かれることもなく
かといって、ぶっきらぼうなわけでもなく、礼儀正しい感じ。
 
街の雰囲気といい、人の印象といい、ちょっと別の国みたいだ。
 
ボストンはアメリカ独立の舞台になった歴史のある古い街なので、
好天に恵まれた2日目は、歴史地区まで電車ででかけ散策した。
 
煉瓦作りの家々に紅葉した並木道。
落ち葉が公園の歩道に散って、歩くとかさこそ音を立てる。
 
ボストン最古の教会オールドノース教会や、1600年代に作られたコップスヒル墓地。
バンカーヒルの戦いを記念して建てられたオベリスク・バンカーヒル記念塔に
マサチューセッツ州最古のレストランなど
繁栄のアメリカの礎ともいえる地区を修学旅行生のような気分で見学し
最古のレストランでは「トラディショナル・バーガー」と食べたのであった。
 
そして、更に電車を乗り継ぎ、ハーバード大学まで行ったのだが
その校内の広大なこと。
 
駅前は学園都市らしくレンタサイクルがずらり並んでおり、
お店はハーバード大学のブックショップや生協、
他には学生が利用するレストランなど
あのネオン看板に埋め尽くされたニューヨーク・タイムズスクエア界隈とは
まるで違う。
 
学生でない一般の人や観光客も出入りは自由にできるので
その広い校内を散策し、どんぐり集めにいそがしいリスを横目に
「こういうところで勉強する人が、世界をリードする頭脳の持ち主なのね」と
想像の翼を拡げた。
 
帰りにはせめてもう少し頭がよくなりますようにと
ハーバード大学の紋章が入ったペンを購入。
さすがに今更、この歳で紋章いりTシャツは着られないですからね。
 
このアメリカ行き。
ニューヨークとまったく違うボストンも行くことにして、大正解。
 
東京だけ見て帰るのではなく、京都にもおいでやすというあたりか?
 
 


2014年10月28日火曜日

アメリカ旅行記 その5 象徴としてのアメリカ

 
 
 
 
 
ニューヨークに滞在して5日目、滞在中でもっともいいお天気に恵まれた。
 
ニューヨークの天気予報はかなりの精度で当たることが分かったので、
数日前から1番お天気のいい日に、ミーハーに自由の女神に行くことに決め、
それを5日目の金曜日にしようということになった。
 
当日、予報通り、それはそれは見事に雲ひとつない快晴になり、
連日の美術館通いやミュージカル鑑賞から一転、
地下鉄でダウンタウンにくだり、
フェリーに乗って自由の女神像のお膝元まで行くことにした。
 
自由の女神像は建国100年のお祝いとしてフランスからプレゼントされたものと
昨年パリに旅行したときに聞いて知っていた。
セーヌ川にもミニ自由の女神像が立っているのを見て不思議な感じがしたが
アメリカの象徴・自由の女神がよその国からのプレゼントだったというのは
かなりビックリだ。
 
フェリー乗船時には
まるで入国審査のような厳しいチェックを受け、
1回に1000人近くも乗船させたかと思うぐらいの大量のお客さんを乗せ、
フェリーはニューヨーク湾のリバティ島に向け出港した。
 
連日、マンハッタンの喧噪の中を足を棒にして歩き、
美術館や博物館で更にまた歩き、
いささか芸術鑑賞に脳みそも目玉も疲れていたので、
この快晴の元、頬にあたるさわやかな風と
目の前にそびえる自由の女神は、単純に爽快感と開放感を感じさせてくれた。
 
アメリカという国が掲げる明快なスローガンは国民の意識を高揚させるし、
分かりやすく一致団結させることが出来る。
 
この歴史の浅い大国が世界のリーダーとして巨大な力を行使し、世界を牽引し、
それ故、標的にもされ、2001年には9・11のテロ事件が起きた。
 
自由の女神見学フェリーから下船後、
私たちはウオール街に行ってみることにした。
そこにはタイムズスクエア周辺とはまったく違う空気が漂っていた。
 
圧倒されるビル群は気品があり、
世界の金融の中心であることを感じさせる威圧感に満ちていた。
 
道行く人々もスーツに身を包み、さっそうと足早に歩き去っていく。
グダグダととぐろを巻きながら声高におしゃべりしている
タイムズスクエア周辺の黒人達とは人種が違うかのようだった。
 
そして、その金融街の一角にあるグランドゼロに着いた時
メモリアルパークとなった元ワールドトレードセンター跡地の大きなくぼみに
強い衝撃を覚えた。
 
現在、その窪みはプールのような形状になっていて、壁面に水が流れおちている。
ツインタワーの敷地面積そのままの大きさの巨大プールで
周囲の囲いには9・11で亡くなった方の名前が刻まれている。
 
そのあまりに巨大な窪みと
すぐ脇に立つ新しいワンワールド・トレードセンターとの対比に
私は何か言葉に出来ないようなアメリカの強い意志を感じた。
 
新しいビルは鏡面仕上げのガラスのビルで
快晴の青い空に溶け込みながらも
美しく白い雲を写し、都会的、かつ、進歩的な姿で凛とそびえ立っている。
 
そこからは、決してテロに屈しない力強さと
あのテロを忘れたり、許してはいけないというメッセージが伝わってくる。
 
このあたりはダンナにとって30数年前、ニューヨーク支店に転勤して働いた場所だ。
きっと私が初めて目にして感じている何十倍もの感慨があったに違いない。
 
それぞれの胸にそれぞれのニューヨークが強く刻み込まれ、
快晴の青い空にはためく星条旗が、脳裏にくっきり焼き付けられた。


2014年10月27日月曜日

アメリカ旅行記 その4 VIVA!ブロードウェイ ミュージカル

 
 
 
 
いよいよこの旅行の最大の目玉、待望のミュージカルの日がやってきた!
ニューヨークに着いて3日目の夜に『オペラ座の怪人』
5日目に『CHICAGO』のチケットを取っている。
 
まずは『オペラ座の怪人』
言わずと知れた名作だが、
ニューヨークのブロードウェイでは専門の劇場で公演されている。
 
他の演目もそれぞれ専門の劇場で行われている。
 
『オペラ座の怪人』は数あるミュージカルの中でも1番のロングランらしい。
 
劇場は入るとその劇場そのものがファントムの棲むオペラ座のように古く
椅子から壁の装飾などすべてが『オペラ座の怪人』の世界観を創り出している。
写真のように黒と赤のドラマティックな劇場だ。
 
観客が全員、席に着くと、オーケストラピットからいきなり生演奏が始まり、
夜8時過ぎ、私たちはオペラ座の観客になった。
 
よく知ってる演目なので、ストーリーも歌もすんなり入ってきて
その歌唱力や舞台美術などに魅せられてしまった。
 
しかし、1番驚いたのはファントムが黒人(白人とのハーフかも)だったことだ。
以前、シンガポールに住んでいた時、イギリスチームの『オペラ座の怪人』を
観たことがあるが、その時は白人のセクシーな中年男性だった。
 
映画のファントムはジェラルド・バトラーで、もう少し若くなったが
やはりどこか哀愁を帯びていてセクシーな白人男性だった。
 
ファントムにはそのイメージが強かったので、黒人のファントムはいささか驚いたが
さすがの歌唱力と声量で力強いファントムだった。
 
ただ、あんまりセクシーという感じではなく、
クリスティーヌを最後諦める切なさが、ちょっと物足りない気がした。
 
されど、全体には華やかなマスカレード、
幻想的な舟のシーン、
シャンデリアの落下に始まるドラマチックな展開など
このために日本からやってきたと思うに足る素晴らしい舞台だった。
 
そして、4日目の夜にはニューヨーク・シティ・オペラを鑑賞。
5日目の夜は『CHICAGO』と、
3夜連続、私たちはナイトライフを満喫した。
 
『CHICAGO』は打って変わって、アメリカン・ショービジネスの真骨頂。
舞台の上にビッグバンドのメンバーが階段状に並んでいて
軽快かつダイナミックな生演奏と共に、話が進行する。
 
映画の時にリチャード・ギアが演じた弁護士の役は
さほど重要な役ではなくなっていて
ロキシーとヴェルマのふたりを中心に踊って歌えるダンサー達のパフォーマンスが
何より圧巻だった。
 
私たちの席はなんと中央寄りの最前列だったので、
パンチラどころか編みタイ姿の踊り子達の振り上げた足、くねらせた腰、
顔のしわから額の汗まで見えるかぶりつき状態だった。
 
2時間半、たっぷりそのスピード感、リズム、アメリカンジョークを堪能し
これこそがアメリカ、ブロードウェイの本領発揮なんだろうと思った。
 
最後のフィナーレには薔薇の花束を抱えてロキシーとヴェルマが登場し
舞台上から客席に向け、4~5人の人に薔薇の花が投げ込まれた。
 
そのうちの1本を最前列の私にロキシーが投げてくれた。
きっと舞台上から嬉々として観ている東洋人に気づいてくれたのではと思う。
 
帰り道、その薔薇を手に、正に嬉々として写真に収まっているのが
アップした写真である。
看板の赤に溶け込んでいるが、よく見ると手に赤い薔薇を持っている。
 
次の日、次女に「ママは後どこにいきたいの」と訊かれたが
「ママはミュージカルを観たから、もうかなり満足よ」と答えたぐらい、
ニューヨークに来た主なる目的を達成した満足感に浸ったのであった。
 
次生まれ変わったら、あんな風にガンガン踊って歌えたら楽しいだろうな~。
VIVA!アメリカン・エンターテイメント!


2014年10月26日日曜日

アメリカ旅行記 その3 迷路のような絵画の森

 
 
 
 
 
ニューヨークに着いて2日目からいよいよ本格的に観光が始まった。
観光といっても、我が旅行の主なる目的はミュージカル鑑賞と絵画鑑賞なので
観光地にいくというより、おさえるべきいくつかの美術館を訪ねることからスタートだ。
 
まず、はじめはメトロポリタン美術館。
通称MET(メット)。
 
世界四大美術館のひとつとかで、収蔵数は約300万点、
その内の約10万点が展示されているという。
 
建物そのものも巨大だが、中はもっと巨大で、もはや迷路。
館内入口で日本語の案内書を手に入れ、それを見ながら3人バラバラになり
各自好きなように見て回ることにしたが、
そもそも自分がその地図のどこにいるのさえ分からないほど。
 
再集合をなんと4時間後にセッティングして解散したのだが・・・。
 
まあ、でるわでるわ、教科書に載っているような有名どころが
そこここに無造作に掛かっていたり、置かれていたり。
それもガラスの額に入るでもなく、立ち入り禁止の線がしいてあるでもなく
どうぞ近寄って観てください、写真もOKですよ、
みたいな感じで置いてあるから驚きだ。
 
昨年、フランスのルーブル美術館に行ったときも同じようなイージーさに驚いたが
アメリカでも鑑賞者を信頼しているというか、何というか
各部屋に黒い服の係官が何人も立って監視しているとはいえ、
自由な鑑賞が認められている。
 
もし、誰かがいきなりナイフで絵を切り裂いたり、
スプレーでインクを吹きかけたりしたら
どうする気なんだと心配になるが・・・。
 
日本の近寄りがたくてよく見えない展示と比べ、まずそこに一番びっくりだ。
 
また、
館内のところどころで、
小学生や大人の小集団が先生の講義を受けていたり模写していたりする。
ニューヨークの子供達は美術館の床にじかに体育座りして
ピカソやらモネやら、本物の絵の前でレクチャーを受けられるのだ。
 
こちらはもう一生ここにはこられないだろうと思うから
精力的に観ようと思うのだが、とうてい4時間あっても観きれる量ではない。
その内、だんだん感覚がマヒしてきて
「あれ、これ本当に本物?」みたいな感じになって、流れ作業のようになってくる。
 
全部制覇しようなんて野望は捨てて、自分が興味のあるジャンルに絞ろうと決めた。
何とか7割ぐらいは観ただろうか。
 
最後にミュージアムショップにもゆっくり立ち寄り
ここにしか売っていないオリジナルグッズを手に入れようと
集合時間の30分前にはショップにいくと、
同じく次女もグッズ目指して戻ってきていた。
 
結局、観光初日早々、紙袋いっぱいにあれこれ買い込み、ダンナに呆れられたが
そんなことどこ吹く風、ここでしか買えない様々なグッズを手に入れ
気分は上々なのであった。
 
こうして、3日目はグッゲンハイム美術館で現代美術を
4日目はアメリカ自然史博物館で世界最大の恐竜化石コレクションを
6日目にはMoMA(ニューヨーク近代美術館)で近代美術を
これでもかという量と質で鑑賞。
 
目と脳がお腹いっぱいになった。
 
毎日どこへ行っても、これがアメリカの実力かと思い知り、
なんて汚くて雑ぱくな街と思った第一印象はみごとにくつがえされ、
大国の力を見せつけられたのであった。
 
恐れ入谷の鬼子母神。
まいりました~。


2014年10月25日土曜日

アメリカ旅行記 その2 個人旅行は辛いよ

 
 
ニューヨークと日本の時差は13時間。
 
つまり、昼夜まったく逆で、日本が半日、先をいっている。
13日(月)11時過ぎに日本を発った私たちは13時間のフライトの後、
同じく13日(月)の11時過ぎ、ニューヨーク・ケネディ空港に降り立ったことになる。
 
何だかとっても得をした気分で、同じ13日が再び始まったわけだが、
厳しい入国審査を終え、空港の外に出た瞬間から
個人旅行の決断につぐ決断の日々が始まった。
 
まず、市内のホテルまで乗り合いの大型タクシーの値段交渉から。
タクシーを個人で乗ると最後に20%近くのチップを払わなければならないので
チップがいるのかいらないのかは重要な問題だ。
 
幸いひとり15ドル×3の45ドルポッキリでホテルまでいくことが出来、
最初の難関を突破。
 
荷物を部屋に運び込み、一息つく間もなく、次はチケット予約のため
リンカーンセンターまで出向くことになった。
 
今回の旅行の主たる目的であるミュージカル鑑賞のチケットは
すでに8月、日本にいるときから手配済みで
15日(水)と17日(金)に『オペラ座の怪人』と『CHICAGO』が取れている。
 
更にもうひとつぐらい何か鑑賞しようということで意見の一致はみたものの
そこから先、何を観るのか意見がまっぷたつどころか、三つに分かれた。
 
ダンナは「ニューヨークに来て、ニューヨークフィルを聴かないなんて」と
クラシック・コンサートを希望。
次女は「ビジュアル的なものが好きなのでバレエがいい。
たぶん、クラシック・コンサートにしたら、ほとんど寝ちゃう」といっている。
私は私で「ニューヨークといえばJAZZじゃない」と言い張る。
 
いずれの会場もリンカーンセンター内にチケット売場があるので
まずは徒歩で出向いたが、あいにく月曜日はチケット売場がクローズ。
次の日に出直すことになったが、意見はもの別れに終わって収集がつかない。
 
帰り道、明日の朝ご飯の調達のため、ニューヨーク随一といわれる
大型スーパーに立ち寄った。
 
その物の量と物価の高さに目を白黒させながらも
カートの中に、ジュースにマフィンにハムのパック、サラダのパック、ヨーグルト
各種グラノーラなどを次々放り込み、
キャッシャーに向かう長い列の最後尾につく。
 
レジの列が横に6列、奥に3台ずつあるから、計18台のキャッシャーといえば
そのスーパーがいかに大きいか想像がつくだろうか。
 
そのいずれの台にいけばいいのか、レジの近くになると英語でナンバーを指示され
勝手のわからない私も、、以前から住んでいるかのような顔をして
呼ばれたナンバーのレジに向かう。
 
60ドル近くの数字を言われ、カード決済することに決め、カードを差し出す。
サインなのか、暗証番号が必要なのか、英語を聞き漏らすまいと耳をそばだてる。
 
ダンナと次女もそばにいるが、暗黙の了解でスーパーの買い物は
私の担当らしく、完全に人任せになっている。
 
こうして、パック旅行ではまったくしなくていい日々の食事の心配や
チケットの手配、タクシーや地下鉄の乗り方など、
ありとあらゆることを自力でしなければならないのが個人旅行だと思い知る。
 
次の日、結局、娘に甘いダンナはニューヨーク・シティ・バレエのチケットを購入。
これで水・木・金と3連ちゃんでニューヨークの夜の予定は決定した。
 
更に「ニューヨーク最後の夜はステーキディナー、よろしく!」という
女達のリクエストをかなえるため、
ダンナは30数年前の記憶を頼りに、老舗ステーキハウスの予約も取り付けた。
 
いつものパック旅行なら、空港に時間通り行きさえすれば
あとはスーツケースを運ぶこともほんのわずかで
朝昼晩の上げ膳据え膳、バスに乗り込めばいつの間にか目的地に運んでくれる。
あとはパチパチ写真を撮りまくるだけ。
 
それがどれだけ楽ちんだったか
毎日思い知ることになったが、
元海外転勤族だった誇りを胸に、耳をそばだて英語を聞き、
足が棒になるまで歩き回り、
知る限りのつたない英語を駆使して買い物したりした。
 
お陰で着いた当初は騒々しくて雑然としたニューヨークのテンポにもすぐ慣れ、
マンハッタン在住みたいなそぶりで街を歩けるようになった。
 
おばさんの順応性も馬鹿にできないでしょ。
と、ダンナや次女に鼻息荒くするのも、それはそれで結構しんどいものがある。
やれやれ・・・。

でも、郷に入っては郷に従え。
ニューヨークのハイテンションに合わせ、GO!GO!GO!
郷に入ってはGO!なのである。

2014年10月24日金曜日

アメリカ旅行記 その1 猥雑な街ニューヨーク

 
 
 
2014年10月13日から23日までの11日間、ダンナと次女との3人で
ニューヨークとボストンに行って来た。
 
折しも台風19号が関東地方にも上陸かと思われたその前日、日本を発ち、
帰ってきた夕べのニュースではニューヨークでもエボラ出血熱の患者がでたという。
 
いずれもすんでのところで回避しながら、11日間を無事過ごして帰国した。
 
同時進行でブログがアップされていないので、
私がスマホユーザーでないことがバレバレであるが、
そこはお許しいただいて、
今回から何回かに分けて、アメリカ旅行記を書いてみようと思う。
 
まず、ニューヨークの第一印象は『猥雑な街』という感じだった。
 
猥雑という言葉は決して褒め言葉ではないのだが
他にぴったりくる言葉が見つからないほど、猥雑なのだ。
(辞書には、ごたごたしていて、下品な感じがすることとある)
 
私たちはミュージカルを観たり、美術舘にいくことが主なる目的だったので
それらが徒歩圏になるよう、地の利を優先してホテルを選んだ結果、
かの有名なタイムズスクエアの一角にあるホテルをお宿にしたせいで、
まるで歌舞伎町のど真ん中に放り込まれた感じになってしまった。
 
その溢れかえる人波と
界隈を埋め尽くす数え切れない大量の大きな看板、
そのひとつひとつがまばゆい電飾で照らされ、ひっきりなしに画面が変わる。
 
道行く人の多国籍ぶりと、想像以上に多い黒人の数。
常に聞こえる話し声と工事現場のドリルの音、
前の車をせかせるタクシーのクラクション。
 
よくいえば活気があるし、エネルギーにあふれているということになるのだろうが
24時間静かになることのない街にいささか度肝を抜かれた。
 
電飾の光と行き交う人、テンションの高い話し声の洪水に
ふと、ひとり静かになりたいとさえ願った。
 
その上、そこら中にあるデリで買ったハンバーガーや飲み物の残りと
汚れたままの容器が捨てられるせいか
街のこそここから生ゴミの匂いが立ちのぼってくる。
 
到着した日はアメリカの祝日だったせいもあり、
次の火曜日の朝は
街のいたるところに積み上げられた黒いゴミ袋をよけながら歩くのに苦労したほどだ。
 
2~3日すると、そうしたニューヨークの汚さや騒々しさにも慣れ、
美術館やミュージカルなど、
さすがアメリカという文化にも触れることになるのだが、
なにしろニューヨークの第一印象は『猥雑な街』という感じで
ヨーロッパの街のように
決して感動出来るような美しさでも荘厳さでもなかったというのが本当のところだ。
 
そして、ニューヨークは観光都市でありながら観光客にやさしいわけでもない。
 
ヨーロッパはいくつもの国を見聞きしているが、
どこにいっても必ず日本人の団体さんに出くわす。
もちろん自分もそのひとりなわけだが・・・。
 
ところがニューヨークでもボストンでも
日本人の団体の観光客にはほとんど会わなかった。
日本人自体滅多に会わないのだが
会ったのは私たち同様、個人の旅行客、
もしくはアメリカ在住の日本人なのだ。
 
個人で海外旅行をするということは
すべてのことが個人でアレンジできるということなので、
基本、英語ができるということが大前提になる。
 
だから、迎えるアメリカ人も何人であろうと英語は出来ると思っているのか
どこへいっても普通に話しかけてくるし、普通に会話できると思っている。
つまり、私にとっては情け容赦のないスピードの英語で話されることになる。
 
私が半分ぐらいか、もっと分からなかったとしても
それに普通に答えられなければ、会話が前に進まないので、神経がすり減る。
 
そんなこともあって
ここ数年、団体でお気楽に海外旅行を楽しんできた私にとっては
アメリカはちょっと勝手が違う国だったので、
大いに楽しめたけど、結構疲れたというのも本音だ。
 
帰国から丸1日経って、
ようやく今、ひとりパソコンの前でブログを書いているが、
その音のない静かな空間に、心からホッとしている。
 
ニューヨークに長年住んでいたら早く歳をとるかも、
そんな風に思わせるギンギンガンガンした街であった。
 
しかし、疾走する街ニューヨーク、その魅力と実力は徐々に明らかに!
 
 
 
 
 


2014年10月12日日曜日

サユリストのための映画


 
秋の訪れは金木犀の香りから始まる。
例年、10月1日にカレンダーをめくったかのように玄関ドアを開けた瞬間
我が家の玄関脇に植えてある金木犀のオレンジ色の小さな花から
甘い香りが立ちのぼる。
 
それが今年は、9月に例年より涼しい日があったせいか、
9月28日あたりに、早くも香り出してしまった。
 
「あら、いつもより早いわ。今年は秋になるのが早かったわね」と思っていたら
数日であっという間に花が散り、同時に香りも終わってしまった。
 
そのあっけなさに一抹の寂しさを感じていたら
なぜか、昨日あたりから再び香り出している。
よく見ると9月下旬よりよっぽど花をつけ、今まさに開花の時期を迎えている。
 
きっと9月に涼しかったので急いで咲いたけど、ちょっと早まったと気づいて
10日ほど置いて、気を取り直し、今、本格的に咲きほころぶことにしたようだ。
 
「金木犀も毎年いろいろ大変ね」
そんな風に思いながら、日本の秋の香りに鼻孔をふくらませた。
 
さて、明日からのニューヨークの秋はどんな秋かな。
紅葉というより、黄色く色づく葉っぱの方が多いような気がするけど・・・。
 
そんなことを思い描きつつ、
出発直前に、封切られたばかりの映画をダンナと観に行った。
『ふしぎな岬の物語』である。
 
毎日、吉永小百合か、鶴甁か、阿部寛あたりが
映画の宣伝のためテレビに出ているし
ダンナは原作を読んでいて、「映画も観に行こうかな」というので、
NYから帰ってからより観てから行くことにしたのだ。
 
会場は見事に60代70代の夫婦で一杯。
ひとりで観に来ている明らかにサユリストとおぼしき70前後の男性も多い。
 
出演者の鶴甁や笹野高史あたりもサユリストに違いない。
他にもちょい役でも大粒の役者が勢揃いで、ちょっとビックリする。
 
お話は実在する房総半島の岬に建つ小さな喫茶店が舞台で
そこに出入りする街(村?)の人々や東京からやってきた親子がくりひろげる
何でもない普通のできごとを淡々と綴っている。
 
その小さな出来事が積み重なって
結局、時の流れの中で人は移り変わっていくし、永遠に続くものなど何もないという
普遍のテーマにたどり着く。
 
そのテーマ自体はここ数年、私が感じていることと重なるので心に染みるが
何といっても肝心の吉永小百合がどうも好きになれなかった。
 
その清く正しく、つつましくある様が
どうも嘘くさく、修道女のようで、人間味が感じられないのだ。
 
演技が下手で一本調子だというのもあるし、
地味すぎる服装と上品すぎる立ち居振る舞いと初老女のぶりっ子ぶりが、
私にはぴったりこなかった。
 
吉永小百合はそれでいいんだという声が聞こえてきそうだが
本当にそれでいいのか?
 
海外の映画祭で2冠に輝き、当人は嬉しそうにフランス語で挨拶していたが
この静かで淡々とした映画のどこを外人は評価したのだろう。
とても日本的な上に、「おくりびと」の時のようなユーモアもないのに。
 
「よく分からん」というのが本音だが
まあ、日本の秋に静かに鑑賞し、
人生のはかなさや温かさをじんわり味わうにはいい作品かもしれない。

2014年10月11日土曜日

日本の秋 しみじみ

あと2日でニューヨークに旅立つ私。
予習もバッチリ、旅行の荷物も整い、イメージトレーニングはできたので
最後は日本人を再確認。

今日は月曜日、台風直撃で延期になったお茶のお稽古。

曜日がいつもとは違うので、お目にかかったことのないお弟子さんといっしょに
『長板ひとつ飾り』のお点前をさせてもらった。

長板というのは名前のとおり、黒塗りの長い板状の棚。
その真ん中に風呂釜がしつらえてある。

通常は風呂釜と水差しの両方が長板の上に置かれているが
秋ならではのお点前で、細水差しという背の高い水差しを運びで持ち出し
長板の左斜め前、畳の上に直接置くところからお点前が始まる。

『秋の中置き、中仕舞い』という言葉があるそうで
この時期ならではのお道具とそれを扱う所作があることをお稽古して
季節感を教えていただいた。

私はお濃茶とお薄の両方点てさせていただき、
もうおひとかたが点ててくださったお濃茶とお薄、
鶴屋八幡の『野路の秋』という生菓子や何種かのお干菓子を頂戴した。

お点前の間にも先生や古株のお弟子さんからニューヨークに関するおたずねを
いただき、いろいろおしゃべりしながら楽しい時間を過ごし、
「気を付けていってらっしゃい」と送りだしていただいた。

帰り道、さすがに少し風が冷たい。
台風19号が以前勢力を保って日本列島を北上しようとしているけど
秋は確実にそこまできていると感じる。
関東地方に最も近づくのは火曜日になりそうなので、なんとかその前に
日本を脱出できそうだ。

夜はマレーシア行きで急に送別会が多くなったダンナが、お外ご飯だというので
急になまけ心が湧いて、帰りにデパ地下でお寿司のパックを買ってしまった。

中トロ、大トロ、ヤリイカ、生しらす、子持ちわかめ、すずきに真鯛、赤貝など
日本のお寿司はやっぱり美味しい。
昨日作った牛すじと大根の煮込みも味が染みて、味わい深くなっていた。

これで日本とも今生のお別れというわけでもあるまいに、
そこまで日本だアメリカだと大騒ぎしなくても思いつつ、
パック寿司でお手軽にも日本の秋を堪能したのであった。

2014年10月8日水曜日

旅の予習


 
私にとって海外旅行は人生最大の楽しみでもあり、ストレス発散方法だ。
その楽しみはもちろん現地に行っていろいろ見聞きしたり、
土地の美味しいものを食べること、買い物をすることなどたくさんある。
 
しかし、実際に旅行に出掛けるまでの準備期間にあれこれ思い描きながら
旅に必要なものを整えたり、予備知識を蓄えたりすることも大いに楽しい。
もうここから旅は始まっている。
 
そういうガイドブックを見たり、予定表を作ったりはめんどうくさいという人もいるが
私は行きたいところリストを作り、それらを日程の中にどうはめ込もうかとか
毎日何を着ていこうかなどの服装計画を立てたり
ファッションチェックをしたりするのも大好きなタイプ。
 
特に今回は1都市滞在型の旅行なので、
自由気ままに行きたいところをアレンジできる分、事前準備に力が入る。
 
何と言っても、行き先はニューヨーク。
行くべきところ、見聞きしたいもの、食べたいものなどが目白押し。
 
そのイメージトレーニングとして、ここ3週間ぐらいは毎日のようにDVDを借りてきては
その鑑賞に余念がない。
 
まず、チケット予約を済ませているミュージカルの映画版を観た。
以前にも映画館で観ているが復習&予習である。
『CHICAGO』
『オペラ座の怪人』
 
更にショービジネスに憧れている女の子のサクセスストーリー
『バーレスク』
これは夏に観て凄くよかったので、また、今日借りて観るところ。
オススメの逸品。
 
他にもニューヨークとタイトルにあるラブストーリー。
『ニューヨークの恋人達』
『ニューヨーク アイラブユー』
『オータム イン ニューヨーク』
 
ニューヨークの有名な場所が出てくるという
『めぐり逢えたら』
『ティファニーで朝食を』
『恋人達の予感』
『マンハッタン』
『プラダを着た悪魔』
『恋に落ちて』
『レオン』
『セックス・アンド・ザ・シティ』
『ツー ウィークス ノーティス』
『ユー ガット メール』
という具合。
 
出演者も若き日の名優達がわんさかで、そういう意味でも面白い。
 
これだけ観ると、もはやニューヨークに行ったかのような錯覚に陥る。
 
セントラルパークの上空を低く飛びながら眺めるビル群。
橋のたもとから見あげるブルックリン橋。
ティファニー本店のウインドウや店内。
ロックフェラーセンターの展望台に向かうエレベーターのデザインや
天上の展望台に吹く風。そこから見る夜景。
郊外からマンハッタンまで来る電車やセントラル駅等々。
 
きっと街に着いたら、あちらこちらでデジャブのように「ここ来たかも」と思えるぐらい。
 
今までのツアー旅行は帰ってきてからテレビで特集などしていると
「あ~っ、ここ行ったわ」と感激していたが
今回は行く前からすでによく知っている街のような感覚だ。
 
それでも、予想をくつがえす刺激的なことやものが待っていると期待しつつ
いよいよその日がくるのを指折り数える
子どものような私なのである。
 
もういくつ寝るとニューヨーク~♪♪

2014年10月7日火曜日

和の心 今の内

 
 
 
我がニューヨーク行きはあと5日と迫ってきた。
 
この話は春には決まり、
6月には飛行機とホテルの予約、
8月にはミュージカルのチケット手配、
ここへ来て、ニューヨークフィルをどうするかなど
じわじわ固まってきている。
 
しかし、一方で出発までにやらなければならないこともある。
それは目下、彫り進めている2点の作品の彫りを仕上げることである。
 
なぜなら、その作品のモチーフが水紋と水面に浮かぶ桜や紅葉と笹舟、
木目は池に渡る筏のような橋という純和風のモチーフだからだ。
 
この和テイストな作品の彫りを途中で放りだしてニューヨークに行ってしまうと
あちらでいろいろ新たな刺激を受け、
日本人としての感性が鈍るおそれがある。

水の流れや波紋、とんぼや植物、板の木目などを
描くように彫るには、繊細で優美な日本的感性が求められている。
 
もちろんニューヨークに行く目的は
ミュージカルや美術館や街の喧騒から、多いに刺激を受け、
人生に揺さぶりをかけ
新たな作品に何か活かせることなのだが・・・。
 
そのせいで、和の感性がおかしくなっては元も子もない。
 
というわけで、
摺りの作業はまったく間に合わなかったが
とにかく彫りの作業だけはやり果せないと旅立つわけにはいかないのだと決め、
毎日、彫り台にしがみついて頑張った。
 
本当はそういいつつも同時に
ニューヨークにゆかりのある映画のDVDを観たり
旅行に必要な細細したものを買いに行ったり
旅先のファッション計画を立てたりと
言ってることとやってることが、ちぐはぐなのだが、
そのあたりは目をつぶるとして
何とか今日までに一番気をつかう飾り彫りのパートをすべて彫り終えた。
 
これで安心して出発することが出来る。
 
案外、カウントダウンしながら出発の日を待つ
こうした日々が一番楽しいのかもしれない。

2014年10月6日月曜日

我が家に変革の秋

台風18号が大きな勢力を保ったまま、ただ今、横浜を通過中。

「不要不急の用事がない方は外に出ないでください」と
朝からテレビでアナウンサーが連呼する中、
何と、ダンナは関西空港へ、そして、そこから乗り継いで
マレーシアのクアラルンプールに向け、飛び立つという。

私も嵐の中、朝6時過ぎに高速をとばして空港に送っていったのだが、
今のところ帰ってきていないので、何とか飛行機は飛んだようだ。

今週は週末まで滞在して、むこうで引き継ぎをするという。



1ヶ月ほど前、ダンナに降って湧いたように就職の話があり、
あれよあれよという間に本決まりになった。

ダンナは、ほぼプー太郎状態で、
毎日、パソコンの前に座り、ディトレーディングらしきポーズをとり
週末は自転車のツーリングかヨットに乗るという
お気楽な生活、しかしながら、本当にこれでいいのかという生活を送っていたが
突如、それに終止符を打ち、いきなり、海外転勤することになった。

クアラルンプールに工場を持つ自動車部品製造会社の現地社長だという。
任期は5年。長い!

一方、我が家には年の初めから、今の会社を辞めようと算段する娘がいる。

次女が7年半勤めたデザイン会社にキリをつけ、
心機一転、別のデザイン会社に移ろうというのだ。
それがようやく9月末で実現した。

こちらも目下、正社員ではなくなり、アルバイトとして同じ会社に通うものの
社会的にはプー太郎姫だ。

しかし、次の就職が決まるまでのこのタイミングしか、他にチャンスはないとみて、
来週はじめから、ダンナも誘って、親子3人でニューヨークに遊びに行こう!と
計画しているこの期に、ダンナの思いがけない海外転勤。

しかも、12月はじめにはクアラルンプールに生活拠点を移すというし、
そのために11月はひと月、本社で今後の打ち合わせのため、大阪に住むらしい。

テレビドラマのようなめまぐるしい展開に、こちらはきょろきょろウロウロするばかり、
ふと気づくと生まれて初めてのひとり暮らしが決定したことになる。

人生、何が起こるか分からない。

来週の月曜日には3人でニューヨークに向け、飛び立つ予定だが、
今度は台風19号がちょうどそのあたりに関東地方に上陸するとかしないとか。

つぎつぎ襲いかかる台風のように、我が家にも人生の大型台風が吹き荒れている。

それぞれの大きな転機が、追い風なのか向かい風なのか分からないが
「来るなら来い!いっちょ乗ってやろうじゃないか」というのが、今の心境である。

2014年10月1日水曜日

友人の生前整理


 
大切な友人が病を得、今、限りある命の戦いを強いられている。
昨年春、完治したはずの肺癌が、
脳腫瘍と新たな肺癌となって、再び姿を現したと聞いたとき
にわかに信じることは出来なかった。
 
折しも、私が別の友人とヨーロッパ旅行で浮かれている間に
急遽、大手術が行われ、
それに引き続いて抗がん剤治療や放射線治療が施された。
 
そんな辛い治療に絶えた夏から1年、
今は友人の心には静かな覚悟が出来ているらしく、
少し前から、友人は粛々と生前整理に取り組んでいる。
 
友人も私も大のキモノ好きで
着る機会が少ないくせに、随分これまでキモノを買い込んできた。
中にはしつけがかかったままで、一度も着たことがないものまである。
 
しかし、キモノ箪笥一杯にはいったキモノも帯も
いざとなると、案外、むすめ達が着る当てもなく、
かといって、リサイクル店に持っていっても、
買った時の値段とは比べようもない低価格に叩かれてしまうのがオチである。
 
それでもだれか見知らぬ人が喜んで着てくれるのならと
友人は委託販売のリサイクル店に出すことにしているそうだが、
「その前に、好きなものがあったら、持っていって」と
嬉しいお誘いを受けた。
 
口には出さないけれど、形見分けのつもりだろう。
 
そんな高価な形見を分けていただけるほど、
友人とちゃんとおつきあいできていたか、はなはだ自信がないが
私にとって友人はかけがえのない人なので、
是非、そのご好意に甘え、友人の身につけていたものを持っていたいと思った。
 
はじめて入る友人宅の和室のキモノ箪笥からは
15~16年前、友人とふたり、出掛けた呉服屋の展示会で求めた
懐かしい訪問着と大島紬も出てきた。
 
それぞれ、手を通しながら、お互いに選んだキモノをよく似合うと褒め合って
非日常の高価な買い物をするという
清水の舞台からふたりして飛び降りたことが、昨日のことのようによみがえった。
 
他にも私の知らないところで友人が清水の舞台から飛び降りたのに
結局、一度も締めなかったという帯を、しかも3本も「きっと似合うから」とくださった。
 
そんな太っ腹な友人の見事な身の処し方に学ぶところ大である。
 
こんな私に今から何ができるということもないのだけれど、
少なくともいただいたキモノと帯は大切に着て、
友人との楽しい思い出も忘れないでいようと思う。
 
そして、これからもまだまだ行けるところまで、一緒に時を過ごし
伴走させてほしいと願っている。